東京プリズン
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恥ずかしながら、僕には好きな分野の小説を偏読する傾向があって、自分の好みから外れている赤坂真理さんは、これまで一冊も読んだ経験がありませんでした。
しかし、新聞や雑誌などで高評価の「東京プリズン」に興味を持ち、今回初めて赤坂さんの作品を読むことになりました。こうした分野に馴れていないため、不適当な表現があれば、ご容赦いただきたいと思います。
母親の意向で16歳になったばかりの主人公マリ(アカサカ)は、米国の最北東にあるメーン州の高校に転校させられます。転校先で進級条件として、全校生徒を前にしたディベートを課題とされます。ディベートのテーマは「天皇の戦争責任」というシュールなもので、近現代史について知識も授業を受けた経験もないマリは当惑します。(米国での私生活もまた、いろいろな点で当惑中であり、ホームシックにかかって母親に電話しても軽くあしらわれる等踏んだり蹴ったりの状況です)。
マリは当惑しつつ進級がかかっているため、日本語、英語での戦後史の勉強を開始します。勉強は思うように捗らないのですが、彼女に、現在、過去、もっと過去、さらには異次元と思われる亜空間をトリップする超常現象が起きて、脈絡もなさそうな様々な人間、妖精、霊魂、動物と出会うという経験を通して、ディベートの場で天皇の戦争責任の明確化を期待する大勢の出席者に対して、痛烈な結論を投げかけるというストーリーです。そして、投げかけそのものは米国人だけでなく、著者のいう「戦後意図的に忘れてしまおうとした日本人」に対するものです。
主人公マリが、戦後・東京裁判・天皇について提示した投げかけは、著者独自の意見ではなく既に世に出ている見解とダブるのですが、この作品の魅力は、それらを著者特有の感性で再構築し、16歳の女子高生である主人公が体験する超常現象を通じて、訴えかけているところにあると思います。理性に訴えるというより、むしろパッションに訴えています。
小説の構造ですが、私小説(風)というのは、私の好きな一分野であるミステリーとはかなり異なるのですね。ネタバレになるので具体例は省きますが、主人公の不思議な体験は、「実は〇〇〇〇だったから、そんなことぐらい自分だってわかってた」のような箇所が出てきた時は、とても驚きました。ミステリーでは、実は〇〇だったと、何の伏線もなく後出しされると、作品そのものが一気に崩壊してしまうことが多いものですから。また、母親には主人公や家族に対して謎めいた隠し事があるように何度も伏線(もしくは伏線のダミー)がはられますが、結局何の解明もないままで、主人公には兄が二人いる設定なのに、最後まで登場どころか話題にも上りません。主人公の家族(親と祖父母の世代)は戦争に大きく関わっている設定なのに、主人公は生まれて一度もそうした話しを聞いたことがないというし、兄とか男の子なら、そういうことを聞きたがって聞いてると思うのですが、そういう気配はありません。戦後生まれの人間は、戦争や戦後のことなど世間から隠蔽されてまるで知らない、というステレオ・タイプの造形にするための、著者の強引すぎる手法に感じられないこともない。
著者の考えるテーマを読者のパッションに、過剰すぎる程にパッションに訴えようとしたため、小説の構造、主人公の造形を都合良くしすぎているような気もします。この辺は、読者にとって好き嫌いが分かれるところかも知れません。
僕自身にとっては著者の描く世界の破天荒さに、まるで自分自身が異次元亜空間に連れて行かれ旅をしたような感じにもなり、とても読み応えのある内容でしたが、、、。
それと、僕には読んでいて、かなり辛いと感じてしまう点もありました。
主人公が気がついた男女の性差についてです。ある段階で主人公は、「男は非常に自己の生存本能が強く、自己の生存のためには全てを賭けなければならない。女も生存本能については同様ではあるが、女には、生存競争で勝ち残った男から選ばれる(見初められる)という選択肢も残っている」ということに気づきます。
さらにそのことは主人公の精神の中で陶冶、発酵されて、戦後の日本人は、男を捨てた。捨てざるを得なかったのかもしれないが、生きるために勝者に媚びへつらうことは女性的な行動である。畢竟すれば娼婦とおなじではなかろうか、と。
男にとって、女性ならではの武器(最終兵器)を腰から抜かれた上で、日本の男は、女になってしまったと言われることは、非常に物憂い、いや、心の痛むことです。
そういうわけで、着想や読み応えは十分でしたが、現在、過去、亜空間をトリップする故のカットバックの多用と、後出しじゃんけん、少し気になるご都合主義等、そして男のひとりとして無情かつ非情な思いを抱かされてしまった悲しさゆえに、☆ひとつマイナスの感想を持ちました。
しかし、新聞や雑誌などで高評価の「東京プリズン」に興味を持ち、今回初めて赤坂さんの作品を読むことになりました。こうした分野に馴れていないため、不適当な表現があれば、ご容赦いただきたいと思います。
母親の意向で16歳になったばかりの主人公マリ(アカサカ)は、米国の最北東にあるメーン州の高校に転校させられます。転校先で進級条件として、全校生徒を前にしたディベートを課題とされます。ディベートのテーマは「天皇の戦争責任」というシュールなもので、近現代史について知識も授業を受けた経験もないマリは当惑します。(米国での私生活もまた、いろいろな点で当惑中であり、ホームシックにかかって母親に電話しても軽くあしらわれる等踏んだり蹴ったりの状況です)。
マリは当惑しつつ進級がかかっているため、日本語、英語での戦後史の勉強を開始します。勉強は思うように捗らないのですが、彼女に、現在、過去、もっと過去、さらには異次元と思われる亜空間をトリップする超常現象が起きて、脈絡もなさそうな様々な人間、妖精、霊魂、動物と出会うという経験を通して、ディベートの場で天皇の戦争責任の明確化を期待する大勢の出席者に対して、痛烈な結論を投げかけるというストーリーです。そして、投げかけそのものは米国人だけでなく、著者のいう「戦後意図的に忘れてしまおうとした日本人」に対するものです。
主人公マリが、戦後・東京裁判・天皇について提示した投げかけは、著者独自の意見ではなく既に世に出ている見解とダブるのですが、この作品の魅力は、それらを著者特有の感性で再構築し、16歳の女子高生である主人公が体験する超常現象を通じて、訴えかけているところにあると思います。理性に訴えるというより、むしろパッションに訴えています。
小説の構造ですが、私小説(風)というのは、私の好きな一分野であるミステリーとはかなり異なるのですね。ネタバレになるので具体例は省きますが、主人公の不思議な体験は、「実は〇〇〇〇だったから、そんなことぐらい自分だってわかってた」のような箇所が出てきた時は、とても驚きました。ミステリーでは、実は〇〇だったと、何の伏線もなく後出しされると、作品そのものが一気に崩壊してしまうことが多いものですから。また、母親には主人公や家族に対して謎めいた隠し事があるように何度も伏線(もしくは伏線のダミー)がはられますが、結局何の解明もないままで、主人公には兄が二人いる設定なのに、最後まで登場どころか話題にも上りません。主人公の家族(親と祖父母の世代)は戦争に大きく関わっている設定なのに、主人公は生まれて一度もそうした話しを聞いたことがないというし、兄とか男の子なら、そういうことを聞きたがって聞いてると思うのですが、そういう気配はありません。戦後生まれの人間は、戦争や戦後のことなど世間から隠蔽されてまるで知らない、というステレオ・タイプの造形にするための、著者の強引すぎる手法に感じられないこともない。
著者の考えるテーマを読者のパッションに、過剰すぎる程にパッションに訴えようとしたため、小説の構造、主人公の造形を都合良くしすぎているような気もします。この辺は、読者にとって好き嫌いが分かれるところかも知れません。
僕自身にとっては著者の描く世界の破天荒さに、まるで自分自身が異次元亜空間に連れて行かれ旅をしたような感じにもなり、とても読み応えのある内容でしたが、、、。
それと、僕には読んでいて、かなり辛いと感じてしまう点もありました。
主人公が気がついた男女の性差についてです。ある段階で主人公は、「男は非常に自己の生存本能が強く、自己の生存のためには全てを賭けなければならない。女も生存本能については同様ではあるが、女には、生存競争で勝ち残った男から選ばれる(見初められる)という選択肢も残っている」ということに気づきます。
さらにそのことは主人公の精神の中で陶冶、発酵されて、戦後の日本人は、男を捨てた。捨てざるを得なかったのかもしれないが、生きるために勝者に媚びへつらうことは女性的な行動である。畢竟すれば娼婦とおなじではなかろうか、と。
男にとって、女性ならではの武器(最終兵器)を腰から抜かれた上で、日本の男は、女になってしまったと言われることは、非常に物憂い、いや、心の痛むことです。
そういうわけで、着想や読み応えは十分でしたが、現在、過去、亜空間をトリップする故のカットバックの多用と、後出しじゃんけん、少し気になるご都合主義等、そして男のひとりとして無情かつ非情な思いを抱かされてしまった悲しさゆえに、☆ひとつマイナスの感想を持ちました。
東京プリズン (河出文庫)
主人公がたびたび幻視に遭遇したり、1980年の自分が29年後の自分にコレクトコールしてくるなど、実際には考えられないSF的な手法でもって物語が展開していくこの小説。読者の評価、あるいは好き嫌いが大きく分かれる作品だと思う。読者の中には、設定の強引さに嫌悪感を催す人がいるかもしれない。
私自身、これは絶対に学者や評論家にはできない、小説家ならではの歴史検証法だと、高く評価したい。著者の歴史観について、あれこれと意見を挟むつもりもない。戦争観・天皇観といったセンシティブなテーマに正面から取り組んだその勇気に、ただただ敬意を表する。
現代と30年前とが何度も何度も交錯していくことに、読みづらさを覚えないでもないが、これも小説でしかなしえない仕掛けの中で、十分に許容することができる物語の進め方だ。
まぎれもない大作で、ことは日本だけの問題にとどまることなく、アメリカ、そしてキリストにまでも踏み込んでいる。その意味では、我が国のみならず、広く国際的にも読まれるべき作品だと思う。「東京裁判」とは何だったのか、戦勝国と敗戦国との関係はどうあるべきなのか。是非、我が国以外の人々にも、考えていただきたいものだ。
と言いながらも、実際は日本という国こそが、一番この問題に目をそむけているようなところがあるのではないか。
ともすれば忘却の果てに追いやりたい過去の歴史に斬り込み、これから進む道を考える。それをしっかりと小説を通して問題提起する著者の志を称えたいし、この思いを土台とした著者の次回以降の作品を大いに期待したい。
あの戦争を経て、奇跡の復興を遂げた日本。が、その後、バブル経済が崩壊して喪失感が漂う中、あの東日本大震災が起きた。そんな今、これから我が日本人が目指すべき国家とはどういうものか、あるいは個々の人々が生きていくうえでの価値観とは何なのか。これを、この物語を切り口にして考えてみると、その輪郭が浮かび上がってくる。
戦争の歴史を繰り返さないためにも、是非、多くの人に読んでもらいたい小説だ。
私自身、これは絶対に学者や評論家にはできない、小説家ならではの歴史検証法だと、高く評価したい。著者の歴史観について、あれこれと意見を挟むつもりもない。戦争観・天皇観といったセンシティブなテーマに正面から取り組んだその勇気に、ただただ敬意を表する。
現代と30年前とが何度も何度も交錯していくことに、読みづらさを覚えないでもないが、これも小説でしかなしえない仕掛けの中で、十分に許容することができる物語の進め方だ。
まぎれもない大作で、ことは日本だけの問題にとどまることなく、アメリカ、そしてキリストにまでも踏み込んでいる。その意味では、我が国のみならず、広く国際的にも読まれるべき作品だと思う。「東京裁判」とは何だったのか、戦勝国と敗戦国との関係はどうあるべきなのか。是非、我が国以外の人々にも、考えていただきたいものだ。
と言いながらも、実際は日本という国こそが、一番この問題に目をそむけているようなところがあるのではないか。
ともすれば忘却の果てに追いやりたい過去の歴史に斬り込み、これから進む道を考える。それをしっかりと小説を通して問題提起する著者の志を称えたいし、この思いを土台とした著者の次回以降の作品を大いに期待したい。
あの戦争を経て、奇跡の復興を遂げた日本。が、その後、バブル経済が崩壊して喪失感が漂う中、あの東日本大震災が起きた。そんな今、これから我が日本人が目指すべき国家とはどういうものか、あるいは個々の人々が生きていくうえでの価値観とは何なのか。これを、この物語を切り口にして考えてみると、その輪郭が浮かび上がってくる。
戦争の歴史を繰り返さないためにも、是非、多くの人に読んでもらいたい小説だ。