新編 百花譜百選 (岩波文庫)
医者であり、詩人であり、画家であった木下杢太郎の植物画集。この活き活きとした画を、文庫として手の中におさめて楽しめるようになったのは嬉しいことです。
作者が昭和18年から昭和20年までに描いた872枚の植物画は、「百花譜」として全画が1979年に出版されています。それから何度か、「百花譜百選」として百枚を選んだアンソロジーがだされました。今回は文庫版で、ほぼB5サイズの洋紙に書かれていた原画を縮小しての編集。左のページに植物画、右のページには画に書き込まれている文章や、関連する日記からの抜書きが載せられていて、小さいけれども見やすいレイアウトになっています。図譜一覧や植物名索引があるのも親切です。
彩色された植物画は、形態や色などの「学術資料」的な堅実さのなかにも、活き活きとした暖かさが感じられます。ツバキやユリなどといった綺麗なものばかりでなく、杉苔や芝、風草などの地味な草も描かれ、それらの強さやしなやかさが伝わってきます。少しクリーム色をした罫線の入った紙も、落ち着いたおもむきです。文庫一ページの大きさでみるからでしょうか、素敵な絵手紙のようにもみえます。
大学構内で植木屋が枝を下ろしたのを拾って描いた、と書かれている銀杏(32)。日常の情景が伝わってきます。サンシュユ(51)に書き込まれた「灯火管制の為に四囲暗黒、幸い此樹は窓火に照らされて立ち、その実の枝を折ることを得た。」など、戦争の時期に重なって書かれていたことがわかる文章を読むと、あの時代、作者はどんなことを考え、仕事の合間をぬってこれらを書き続けていたのだろうか、と想像も膨らみます。
きちんとした植物画として鑑賞し、短い言葉で描かれる情景とともに味わい、時代背景にも想像を馳せる。贅沢な一冊です。
作者が昭和18年から昭和20年までに描いた872枚の植物画は、「百花譜」として全画が1979年に出版されています。それから何度か、「百花譜百選」として百枚を選んだアンソロジーがだされました。今回は文庫版で、ほぼB5サイズの洋紙に書かれていた原画を縮小しての編集。左のページに植物画、右のページには画に書き込まれている文章や、関連する日記からの抜書きが載せられていて、小さいけれども見やすいレイアウトになっています。図譜一覧や植物名索引があるのも親切です。
彩色された植物画は、形態や色などの「学術資料」的な堅実さのなかにも、活き活きとした暖かさが感じられます。ツバキやユリなどといった綺麗なものばかりでなく、杉苔や芝、風草などの地味な草も描かれ、それらの強さやしなやかさが伝わってきます。少しクリーム色をした罫線の入った紙も、落ち着いたおもむきです。文庫一ページの大きさでみるからでしょうか、素敵な絵手紙のようにもみえます。
大学構内で植木屋が枝を下ろしたのを拾って描いた、と書かれている銀杏(32)。日常の情景が伝わってきます。サンシュユ(51)に書き込まれた「灯火管制の為に四囲暗黒、幸い此樹は窓火に照らされて立ち、その実の枝を折ることを得た。」など、戦争の時期に重なって書かれていたことがわかる文章を読むと、あの時代、作者はどんなことを考え、仕事の合間をぬってこれらを書き続けていたのだろうか、と想像も膨らみます。
きちんとした植物画として鑑賞し、短い言葉で描かれる情景とともに味わい、時代背景にも想像を馳せる。贅沢な一冊です。
木下杢太郎を読む日
著者とおなじく医師であり詩歌の人であった杢太郎の足跡を、あるときは外、龍之介、あるときはホフマンスタール、またあるときは宮廷のご進講なぞに寄り道しながらとぼとぼと辿ってゆく。
のではあるけれど、そのおぼつかなげにみえて、率直で、真摯で、言葉の最良の意味においてアマチュア的な歩みっぷりに、限りなく魅了されるという不可思議な味わいを持つ独特の書物である。
外によって本邦に紹介され、シュトラウスのオペラ「薔薇の騎士」「影のない女」の台本も書いたこの早熟の詩人兼脚本家を、なぜだか若き日の杢太郎は愛していたらしい。
しかし彼は、みずからの詩集「食後の唄」を発表することによって、おもむろにその影響を脱し、別乾坤を立ち上げてゆくのであるが、その長い長い迂路を、(おそらくホフマンスタールなぞ好きでもないにもかかわらず)、なぜだか杢太郎の虜になってしまっている老詩人は、執拗に、しかし時折舌舐めずりしながら、つまりはこのうえない老後の愉しみとして、杢太郎その人にひしと寄り添うのである。
本書の表題を「評伝」とせず「を読む日」としたのは、おのれを励ますためであり、命の続く限り続編を書き続けたい、と後記する86歳の著者の健康と健筆を、こころから願ってやまない。
のではあるけれど、そのおぼつかなげにみえて、率直で、真摯で、言葉の最良の意味においてアマチュア的な歩みっぷりに、限りなく魅了されるという不可思議な味わいを持つ独特の書物である。
外によって本邦に紹介され、シュトラウスのオペラ「薔薇の騎士」「影のない女」の台本も書いたこの早熟の詩人兼脚本家を、なぜだか若き日の杢太郎は愛していたらしい。
しかし彼は、みずからの詩集「食後の唄」を発表することによって、おもむろにその影響を脱し、別乾坤を立ち上げてゆくのであるが、その長い長い迂路を、(おそらくホフマンスタールなぞ好きでもないにもかかわらず)、なぜだか杢太郎の虜になってしまっている老詩人は、執拗に、しかし時折舌舐めずりしながら、つまりはこのうえない老後の愉しみとして、杢太郎その人にひしと寄り添うのである。
本書の表題を「評伝」とせず「を読む日」としたのは、おのれを励ますためであり、命の続く限り続編を書き続けたい、と後記する86歳の著者の健康と健筆を、こころから願ってやまない。