Violinkonzerte Phantasie
Schumann:
Violinkonzert d-Moll WoO 23
Fantasie C-Dur op. 131
Violinkonzert a-Moll nach dem Cellokonzert op. 129
Baiba Skride, Violine
Danish National Symphony Orchestra
John Storgards, Dirigent
2011/12年録音
結論を先に言えば、シューマンの「ヴァイオリン協奏曲 WoO 23」の難解さと面白さは、スクリデに合っていると思う。これは決定盤かも・・・。
私は、シューマンの作品を(ピアノ独奏曲を除いて)ほとんど知らない。シューマンの交響曲は全然知らない。そんな私が「協奏曲 WoO 23」のスコアを買ってそれを勉強したら、シューマン入門になるかも知れない。この作品は意外に論理的に書かれている作品かも知れない(対位法など)。
言うまでもないことだが、「WoO」とは、ドイツ語の Werk ohne Opuszahl(作品番号なしの作品)の略語(ウィキペディアより)。
この作品の初演は、1937年。
・第1楽章
開始の第1主題は交響曲のように聞こえる(あるいは第1楽章全体が交響曲的かも知れない)。第2主題(ドルチェ)は、独奏ヴァイオリンに合うと思う。しかし、第1主題のいかめしさとの接続は、とってつけたようだ。
この作品は、カデンツァを持たない。その代わり、独奏ヴァイオリンに、入念、技巧的な旋律、フレーズが与えられている。
第1楽章展開部をスクリデはやわらかに静かに歌っている。良いと思う。
・第2楽章
第1楽章第1主題「In kraftigem, nicht zu schnellem Tempo(力強く、速すぎないテンポで)」に対し、第2楽章はピアニッシモの序奏に始まる。それは「切分音」で書かれている(チェロ2部)。切分音。リズムのズレ。それは凝っている。その「切分音」の旋律は独奏ヴァイオリンでも歌われる(第3楽章にも現れる)。
第1楽章と第2楽章のベートーヴェン的対比が、やっぱり交響曲っぽい。
第2楽章におけるスクリデの独奏は「ausdrucksvoll(表情豊か)」だけじゃない。節度。貫禄。
「切分音」をネットで検索してみると、それは「シンコペーション」の日本語訳らしい。私は昔から不思議に思っていたが、なぜ、「シンコペーション」という音楽用語は英語なのだろうか? つまりイタリア語やドイツ語で「シンコペーション」に当たる音楽用語はあまり使われない・・・「シンコペーション」って、ジャズ用語なのだろうか。
・第3楽章
アタッカで、第3楽章に入る(ニ長調、3/4 拍子、ロンド)。第3楽章は、前の2つの楽章が、まるで無かったかのように、楽天的。リズミック。しかし、シューマン独特の難しさがある・・・第2楽章の旋律を用いていたりして凝ってる(私は「WoO 23」を初めて聞いた時、全楽章単一主題からなると思った)。形式的にごちゃごちゃしている。どんちゃん騒ぎ。技巧的。散漫。弛緩している(?)。「もっと分かり易く書いてよ」と言いたくなる。解説書無しでは、何がなんだか分からない・・・というか、解説書読んでも分からない。
ロンドの主題が見えにくい。副主題は、スクリデ盤では、トラック3の1分40秒。
シューマンは、ベートーヴェンの Vn 協奏曲に感銘してこの作品を書いたと言われるが、この第3楽章はベートーヴェンの明快な第3楽章に全然似てない。
「結尾に入り、独奏ヴァイオリンがトレモロの新しい音型(中略)これは、第1主題の第1主題によるもので、ロンドの主要主題の動機とからみ合ってゆき、独奏ヴァイオリンを巨匠的に活躍させることになる。そして、そのクライマックスで、曲は力強く結ばれる。」(作曲家別名曲解説ライブラリー「シューマン」61ページより)
「ヨアヒムのヴァイオリンによる初演をシューマンはせつに希望した」しかし、ヨアヒムは初演しなかった。その理由は「ヴァイオリン・パートが凝りすぎていて、技巧的にたいへんむずかしく、それでいて演奏効果が意外にない」「シューマン後期の幻想が複雑な動きを示し、一般の人にはとりつきにくいものになっているということも考えられる。」(作曲家別名曲解説ライブラリー「シューマン」58ページより)
スクリデは、第3楽章を、何とか持ちこたえている。しかしそれは、他のヴァイオリニストには難しいことかも知れない。
Violinkonzert d-Moll WoO 23
Fantasie C-Dur op. 131
Violinkonzert a-Moll nach dem Cellokonzert op. 129
Baiba Skride, Violine
Danish National Symphony Orchestra
John Storgards, Dirigent
2011/12年録音
結論を先に言えば、シューマンの「ヴァイオリン協奏曲 WoO 23」の難解さと面白さは、スクリデに合っていると思う。これは決定盤かも・・・。
私は、シューマンの作品を(ピアノ独奏曲を除いて)ほとんど知らない。シューマンの交響曲は全然知らない。そんな私が「協奏曲 WoO 23」のスコアを買ってそれを勉強したら、シューマン入門になるかも知れない。この作品は意外に論理的に書かれている作品かも知れない(対位法など)。
言うまでもないことだが、「WoO」とは、ドイツ語の Werk ohne Opuszahl(作品番号なしの作品)の略語(ウィキペディアより)。
この作品の初演は、1937年。
・第1楽章
開始の第1主題は交響曲のように聞こえる(あるいは第1楽章全体が交響曲的かも知れない)。第2主題(ドルチェ)は、独奏ヴァイオリンに合うと思う。しかし、第1主題のいかめしさとの接続は、とってつけたようだ。
この作品は、カデンツァを持たない。その代わり、独奏ヴァイオリンに、入念、技巧的な旋律、フレーズが与えられている。
第1楽章展開部をスクリデはやわらかに静かに歌っている。良いと思う。
・第2楽章
第1楽章第1主題「In kraftigem, nicht zu schnellem Tempo(力強く、速すぎないテンポで)」に対し、第2楽章はピアニッシモの序奏に始まる。それは「切分音」で書かれている(チェロ2部)。切分音。リズムのズレ。それは凝っている。その「切分音」の旋律は独奏ヴァイオリンでも歌われる(第3楽章にも現れる)。
第1楽章と第2楽章のベートーヴェン的対比が、やっぱり交響曲っぽい。
第2楽章におけるスクリデの独奏は「ausdrucksvoll(表情豊か)」だけじゃない。節度。貫禄。
「切分音」をネットで検索してみると、それは「シンコペーション」の日本語訳らしい。私は昔から不思議に思っていたが、なぜ、「シンコペーション」という音楽用語は英語なのだろうか? つまりイタリア語やドイツ語で「シンコペーション」に当たる音楽用語はあまり使われない・・・「シンコペーション」って、ジャズ用語なのだろうか。
・第3楽章
アタッカで、第3楽章に入る(ニ長調、3/4 拍子、ロンド)。第3楽章は、前の2つの楽章が、まるで無かったかのように、楽天的。リズミック。しかし、シューマン独特の難しさがある・・・第2楽章の旋律を用いていたりして凝ってる(私は「WoO 23」を初めて聞いた時、全楽章単一主題からなると思った)。形式的にごちゃごちゃしている。どんちゃん騒ぎ。技巧的。散漫。弛緩している(?)。「もっと分かり易く書いてよ」と言いたくなる。解説書無しでは、何がなんだか分からない・・・というか、解説書読んでも分からない。
ロンドの主題が見えにくい。副主題は、スクリデ盤では、トラック3の1分40秒。
シューマンは、ベートーヴェンの Vn 協奏曲に感銘してこの作品を書いたと言われるが、この第3楽章はベートーヴェンの明快な第3楽章に全然似てない。
「結尾に入り、独奏ヴァイオリンがトレモロの新しい音型(中略)これは、第1主題の第1主題によるもので、ロンドの主要主題の動機とからみ合ってゆき、独奏ヴァイオリンを巨匠的に活躍させることになる。そして、そのクライマックスで、曲は力強く結ばれる。」(作曲家別名曲解説ライブラリー「シューマン」61ページより)
「ヨアヒムのヴァイオリンによる初演をシューマンはせつに希望した」しかし、ヨアヒムは初演しなかった。その理由は「ヴァイオリン・パートが凝りすぎていて、技巧的にたいへんむずかしく、それでいて演奏効果が意外にない」「シューマン後期の幻想が複雑な動きを示し、一般の人にはとりつきにくいものになっているということも考えられる。」(作曲家別名曲解説ライブラリー「シューマン」58ページより)
スクリデは、第3楽章を、何とか持ちこたえている。しかしそれは、他のヴァイオリニストには難しいことかも知れない。
ラヴェル:ヴァイオリンソナタ
バイバとラウマのスクリデ姉妹が絶妙のデュオを聴かせる。展開部の短い小品であるがシューベルトの伸びやかで明朗な響きに和声が美しい緩徐楽章、ベートヴェンのソナタにも似ているロンド形式の軽快さも春らしく季節にあった音楽である。非常に華やかなベートーヴェンの3番も
どちらかといえばピアノが優勢で力強さと明るさが特徴であるが、スプリングやクロイツェルより隠れた人気があるのは頷ける。第二楽章は大変美しい。次第に熱くなってくる演奏も実に爽やかに印象が残るのも高音低音とも豊かな音色が精緻なアンサンブルが美しい。
ラヴェルもどちらかといえばシューベルトとベートーヴェンに隠れてしまった印象も無きにしもあらずであるがラヴェル晩年の作品のせいか躍動感は感じられないが明晰な音づくりに工夫が見られる。ジャズの雰囲気を醸し出す緩徐楽章超絶技巧の第三楽章も素晴らしい腕前を見せてくれている。
どちらかといえばピアノが優勢で力強さと明るさが特徴であるが、スプリングやクロイツェルより隠れた人気があるのは頷ける。第二楽章は大変美しい。次第に熱くなってくる演奏も実に爽やかに印象が残るのも高音低音とも豊かな音色が精緻なアンサンブルが美しい。
ラヴェルもどちらかといえばシューベルトとベートーヴェンに隠れてしまった印象も無きにしもあらずであるがラヴェル晩年の作品のせいか躍動感は感じられないが明晰な音づくりに工夫が見られる。ジャズの雰囲気を醸し出す緩徐楽章超絶技巧の第三楽章も素晴らしい腕前を見せてくれている。