名古屋式。
ある本屋では、「人文」に分類されていたように、名古屋をよく調べて取材している。著者の在住歴からして、普通の生活で知ったり経験できる範囲の情報だけではないので、生粋の名古屋人、50歳代の小生が読んでも新鮮さがあった。それは、ネタの良さだけではなく、名古屋に素直さとある種の敬意をもって生活している著者の感性によるものでもあろう。
ただ、「名古屋で3人しかいない落語家」を、希少価値だけで自分を売りこむキャッチフレーズにしないように注文したい。この本にも、落語家としての著者による名古屋の落語事情発見が描かれていない。「大須演芸場」は頻出するが、この寄席の事情をもって名古屋の落語事情と読者に思わせないでほしい。プロは3人だけだが、はるかに力量のあるアマチュアの精力的な活動や、地域寄席を含めて東西の落語家が切磋琢磨する地でもあるのだ。
ただの「名古屋本」としてでなく、落語家・雷門獅篭の本としての期待をもって読んだ者の期待と注文である。
ただ、「名古屋で3人しかいない落語家」を、希少価値だけで自分を売りこむキャッチフレーズにしないように注文したい。この本にも、落語家としての著者による名古屋の落語事情発見が描かれていない。「大須演芸場」は頻出するが、この寄席の事情をもって名古屋の落語事情と読者に思わせないでほしい。プロは3人だけだが、はるかに力量のあるアマチュアの精力的な活動や、地域寄席を含めて東西の落語家が切磋琢磨する地でもあるのだ。
ただの「名古屋本」としてでなく、落語家・雷門獅篭の本としての期待をもって読んだ者の期待と注文である。