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フジテレビ系ドラマ「天誅~闇の仕置人~」オリジナル・サウンドトラック
やれ惚れた腫れたの恋愛ドラマか刑事ドラマか、
はたまた漫画の実写化しか出来無い今のテレビにしては珍しい内容だった。
現代版必殺仕事人とでも言うのか。
続編に続けられそうな終わり方だったけど視聴率が残念だったらしいので望み薄か。
毎回割と現実で身の周りにありそうな出来事を題材にしていて個人的には面白いなと思ってたので購入。
はたまた漫画の実写化しか出来無い今のテレビにしては珍しい内容だった。
現代版必殺仕事人とでも言うのか。
続編に続けられそうな終わり方だったけど視聴率が残念だったらしいので望み薄か。
毎回割と現実で身の周りにありそうな出来事を題材にしていて個人的には面白いなと思ってたので購入。
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3-4x10月 [DVD]
公開当時などはけっこうキワモノ的な印象でした。
お笑いタレントの作品を真面目に楽しむ気になれないという先入観もあったし、軍団総動員でたけしも半分はおフザケ的に監督したような印象だった。
まだハリウッドが新鮮な作品を連発していた時期でもあって、日本も景気低迷とは無縁なくらい浮かれてた時代だったから、この作品のユーモアや狂気はそこまでピンと来なかったんですね。
90年代半ばを過ぎると、ミニシアター系の邦画にハマるようになって、SABUなどの作品にハマるようになると、この作品のおもしろさとセンスの凄さに改めて気付いた。
余計な装飾は微塵もないのに、昼間を感じさせる明るい雰囲気が全編を支配していて、ゆったりとしたのどかさが作品を覆っているのは当時の世相を反映してるからでしょうか。主人公の根暗さとのコントラストが不気味に心地よくて。
しかし、あの浮かれた時代にあえてこのような真逆の作品を撮っていた、たけしはやはり凄いですね。
いつの時代にも世の中にうまく馴染めず地味にひっそりと生きている人間はいるもんだなと。
思えばあの時代は明るく生きてナンボという風潮があって、本作の主人公みたいなタイプは“ダサイ”の一言で排除されるような時代だったけど、今じゃネットに代表される文化が当然のように普段の生活に行き渡っていて、本作の主人公が今現代の若者の典型のようになってしまった。
たけしは無意識にそれを予見していたのだろうか。そういう意味でも本作の持つ無意識さにとても魅力を感じる。
お笑いタレントの作品を真面目に楽しむ気になれないという先入観もあったし、軍団総動員でたけしも半分はおフザケ的に監督したような印象だった。
まだハリウッドが新鮮な作品を連発していた時期でもあって、日本も景気低迷とは無縁なくらい浮かれてた時代だったから、この作品のユーモアや狂気はそこまでピンと来なかったんですね。
90年代半ばを過ぎると、ミニシアター系の邦画にハマるようになって、SABUなどの作品にハマるようになると、この作品のおもしろさとセンスの凄さに改めて気付いた。
余計な装飾は微塵もないのに、昼間を感じさせる明るい雰囲気が全編を支配していて、ゆったりとしたのどかさが作品を覆っているのは当時の世相を反映してるからでしょうか。主人公の根暗さとのコントラストが不気味に心地よくて。
しかし、あの浮かれた時代にあえてこのような真逆の作品を撮っていた、たけしはやはり凄いですね。
いつの時代にも世の中にうまく馴染めず地味にひっそりと生きている人間はいるもんだなと。
思えばあの時代は明るく生きてナンボという風潮があって、本作の主人公みたいなタイプは“ダサイ”の一言で排除されるような時代だったけど、今じゃネットに代表される文化が当然のように普段の生活に行き渡っていて、本作の主人公が今現代の若者の典型のようになってしまった。
たけしは無意識にそれを予見していたのだろうか。そういう意味でも本作の持つ無意識さにとても魅力を感じる。
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静かなるドン リターンズ [VHS]
「フォーエバー」もありますが(未VHS、未DVD化)、
あちらの醍醐味が石田ゆり子演じる秋野さんに正体がばれることにたいし、
この作品は純粋にお話をたのしめますね
ドンくさい本来の静也で笑えて、
「ドン」の静也のかっこよさにほれぼれします
あちらの醍醐味が石田ゆり子演じる秋野さんに正体がばれることにたいし、
この作品は純粋にお話をたのしめますね
ドンくさい本来の静也で笑えて、
「ドン」の静也のかっこよさにほれぼれします
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ひとつではない女の性
象徴界や女についての既存の理解から常に排除されてきた《女性的なもの》を表現するために、フロイトを、そしてラカンを書き直そうと試みる一冊。
イリガライによれば、これまでの想像界についての理解、女についての理解は、常に男性の視点からなされてきた。結果、私たちが唯一知っている女性とは、「男性的女性」すなわち「男から見た女」に過ぎない。そこで、彼女は、想像界や女について別の視点から考えることで、《女性的なもの》を表現しようとする。
その際に、男性的言説から離れることが必要不可欠である。なぜなら、男性的言説を支えてきた哲学的ロゴスは、「どんな他者をも同一者の体制の中へと還元して」しまうため、そこでの女は、特にフロイトの理論に見られるように、「常に価値を独占する唯一の性である男性の性の欠落、萎縮、裏面として描写」されてしまうからだ。
それでは、《女性的なもの》を表現していくためには、どうすればよいのか?本書からは、主に三つのストラテジーを読み取ることができる。第一に、《女性的に語ること》である。しかし、それが具体的にどのようなことなのかは漠然としか示されていない(正確には、漠然としか示すことができない)。おそらくイリガライにとって《女性的に語ること》とは、「男性的言説の、また男性的言説に対する、可能な他者性」としてイメージされているのだろう。
第二のストラテジーは、女性のセクシュアリティと関係している。ここでイリガライは、女性の性感帯が暗に意味する「複数性」を強調しているのだが、これは、これまで単一的な思考様式に代わる複数的な思考様式の可能性のことを示唆しているように思われる。
最も有効なストラテジーとして提示されているのが、第三のストラテジーである「模倣」、すなわち「歴史的に女性的なものに割り当て当てられてきた(中略)役割を故意に引き受けること」である。これにより従属は主張へと転じ、そのことによって、従属の裏をかくことができる、とイリガライは考えている。
イリガライによれば、これまでの想像界についての理解、女についての理解は、常に男性の視点からなされてきた。結果、私たちが唯一知っている女性とは、「男性的女性」すなわち「男から見た女」に過ぎない。そこで、彼女は、想像界や女について別の視点から考えることで、《女性的なもの》を表現しようとする。
その際に、男性的言説から離れることが必要不可欠である。なぜなら、男性的言説を支えてきた哲学的ロゴスは、「どんな他者をも同一者の体制の中へと還元して」しまうため、そこでの女は、特にフロイトの理論に見られるように、「常に価値を独占する唯一の性である男性の性の欠落、萎縮、裏面として描写」されてしまうからだ。
それでは、《女性的なもの》を表現していくためには、どうすればよいのか?本書からは、主に三つのストラテジーを読み取ることができる。第一に、《女性的に語ること》である。しかし、それが具体的にどのようなことなのかは漠然としか示されていない(正確には、漠然としか示すことができない)。おそらくイリガライにとって《女性的に語ること》とは、「男性的言説の、また男性的言説に対する、可能な他者性」としてイメージされているのだろう。
第二のストラテジーは、女性のセクシュアリティと関係している。ここでイリガライは、女性の性感帯が暗に意味する「複数性」を強調しているのだが、これは、これまで単一的な思考様式に代わる複数的な思考様式の可能性のことを示唆しているように思われる。
最も有効なストラテジーとして提示されているのが、第三のストラテジーである「模倣」、すなわち「歴史的に女性的なものに割り当て当てられてきた(中略)役割を故意に引き受けること」である。これにより従属は主張へと転じ、そのことによって、従属の裏をかくことができる、とイリガライは考えている。
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ばかげた裁判に殺されかけた男―正義の国アメリカの司法制度が生んだ最悪の冤罪事件
品行方正とは言えない少年だったが、マイケルは殺人容疑で突然捕まってしまう。人生を諦めていた彼の元に、一人の女性が・・・・。その出会いがすべてを変えてしまう。世界中を敵に回しながらも自分の信念を決して曲げることなく突き進むベッキー。彼が犯人でない事を信じて。そして何度も、何度も、彼女とマイケルに試練が襲う。そして、ついに・・・一人の女性の信念がすべてを覆していく。判決やマイケルに対する評価さえも。こんな免罪事件がアメリカで起こった事も驚きだが、一番凄いのは、社会的な力を持っていない彼女が成し遂げたのだという事。