修羅走る 関ヶ原
好奇心旺盛な時代小説ファンにとっては、登場人物、背景等...どうしても典型的なステレオタイプに映ってしまうかもしれません。
しかしこの作品にも、筆者がしばしテーマにしている「人が心を決める」ことのすばらしさが、登場人物ごとに丁寧に描かれています。
ここが魅力であり、また人間社会の普遍的な問題を読者につきつけます。
我々が生きているこの21世紀とて、別に大げさなことではなく「義」と「利」またその狭間で、人はうごめき苦悩しそして死んでいきます。
今の日中韓外交、ウクライナ問題、中東内戦、ちょっと前の世界大戦なども、なんらこの関ヶ原の時代と変わりません。
隣近所はもちろん会社、組織、派閥など、今も周りにはいくらでも、家康、三成、福島、小早川、島津(戦い方が面白かった)等々生き続けています。
現在、何らかの大きな決断をしなければならない状況に迫られている方々、是非お勧めです。
この本の題名「修羅走る関ヶ原」は連載もののそれをそのまま流用されたようですが、生きて筆者が単行本のための再構成をされたとしたら、たぶん異なる名称になっていたのでは、タイトルで引いてしまう人が多いかもしれません。
将来、再びこのタイプの作家に出会える日を祈ります。
しかしこの作品にも、筆者がしばしテーマにしている「人が心を決める」ことのすばらしさが、登場人物ごとに丁寧に描かれています。
ここが魅力であり、また人間社会の普遍的な問題を読者につきつけます。
我々が生きているこの21世紀とて、別に大げさなことではなく「義」と「利」またその狭間で、人はうごめき苦悩しそして死んでいきます。
今の日中韓外交、ウクライナ問題、中東内戦、ちょっと前の世界大戦なども、なんらこの関ヶ原の時代と変わりません。
隣近所はもちろん会社、組織、派閥など、今も周りにはいくらでも、家康、三成、福島、小早川、島津(戦い方が面白かった)等々生き続けています。
現在、何らかの大きな決断をしなければならない状況に迫られている方々、是非お勧めです。
この本の題名「修羅走る関ヶ原」は連載もののそれをそのまま流用されたようですが、生きて筆者が単行本のための再構成をされたとしたら、たぶん異なる名称になっていたのでは、タイトルで引いてしまう人が多いかもしれません。
将来、再びこのタイプの作家に出会える日を祈ります。
利休にたずねよ (PHP文芸文庫)
話自体としては面白かった。
本来ならばそれだけでも5つ星をつけるべきなのだろうが、傷が2つあるゆえ2つ星を減じる。
一つは、解説の宮部みゆきの見立てとは違い、史料を調べつくしたとは到底言えない部分が多すぎる。例えば武野紹鴎の段で「伊賀耳付花生」が出てくるが、1540年では未だ伊賀焼は茶陶を焼いていない。伊賀焼が出てくるのは1588年、筒井定次が伊賀に入った後のことである。
このようなミスがいくつか見受けられるが、最も致命的なのは作品の中心にある「緑釉の香合」だろう。モデルになったのは、香合 (茶道具の世界)に載っている新羅の小壷のことだと思うが、このような壷が日本でもてはやされるようになったのは、淺川兄弟や柳宗悦が朝鮮半島の文物を盛んに紹介し、それらを財界茶人が取り入れるようになった大正年間以降のことである。100%間違いなくこのような壷を利休は見ることがなかっただろう。しかもこのような壷からどうやったら長次郎の楽茶碗ができるのだろうか。
もう一つの疑問は利休の茶の湯というのは、このようなデカダンスだったのだろうか。昔の思い出としてゆかりの品物を肌身離さず持っているというのは理解できないこともない(古田織部所持の泪の茶杓を見よ!)。しかし、中にあのようなものを入れるというのは、美意識として利休の茶の湯と相容れないものを私は感じぜざるを得ない。
本来ならばそれだけでも5つ星をつけるべきなのだろうが、傷が2つあるゆえ2つ星を減じる。
一つは、解説の宮部みゆきの見立てとは違い、史料を調べつくしたとは到底言えない部分が多すぎる。例えば武野紹鴎の段で「伊賀耳付花生」が出てくるが、1540年では未だ伊賀焼は茶陶を焼いていない。伊賀焼が出てくるのは1588年、筒井定次が伊賀に入った後のことである。
このようなミスがいくつか見受けられるが、最も致命的なのは作品の中心にある「緑釉の香合」だろう。モデルになったのは、香合 (茶道具の世界)に載っている新羅の小壷のことだと思うが、このような壷が日本でもてはやされるようになったのは、淺川兄弟や柳宗悦が朝鮮半島の文物を盛んに紹介し、それらを財界茶人が取り入れるようになった大正年間以降のことである。100%間違いなくこのような壷を利休は見ることがなかっただろう。しかもこのような壷からどうやったら長次郎の楽茶碗ができるのだろうか。
もう一つの疑問は利休の茶の湯というのは、このようなデカダンスだったのだろうか。昔の思い出としてゆかりの品物を肌身離さず持っているというのは理解できないこともない(古田織部所持の泪の茶杓を見よ!)。しかし、中にあのようなものを入れるというのは、美意識として利休の茶の湯と相容れないものを私は感じぜざるを得ない。
火天の城 (文春文庫)
安土城の設計・建築に携わった岡部親子と織田信長との、桶狭間から本能寺にいたるまでの縁の物語。
木材の調達が「政治」になり、石の運搬に「謀略」が隠れている――そんな、通常職人にとって見れば「事務」であるはずのことが信長を介することによって命がけの大事になるという穏便ならざる状況の中で、それでも百難を踏み越えて「安土城」という前代未聞、空前絶後の巨城建築に挑もうという職人たちの覚悟と緊張。
巻末解説でも触れられていますが、最早出尽くした感のある「信長ストーリー」に、新たな切り口で挑戦した、まさに意欲作です。
木材の調達が「政治」になり、石の運搬に「謀略」が隠れている――そんな、通常職人にとって見れば「事務」であるはずのことが信長を介することによって命がけの大事になるという穏便ならざる状況の中で、それでも百難を踏み越えて「安土城」という前代未聞、空前絶後の巨城建築に挑もうという職人たちの覚悟と緊張。
巻末解説でも触れられていますが、最早出尽くした感のある「信長ストーリー」に、新たな切り口で挑戦した、まさに意欲作です。