カバレフスキー3
有森博(1966-)による2011年録音のカバレフスキーのピアノ曲集。アルバムのタイトルが「カバレフスキー3」となっているが、2006年〜07年録音のソナタ・ソナチネ集、2009年録音のこどものためのピアノ小曲集等を収めたアルバムに続く、有森の3枚目のカバレフスキー作品集となる。
それにしてもカバレフスキー(Dmitri Borisovich Kabalevsky 1904-1987)という作曲家に着目し、その作品を集中的に録音するという発想は慧眼だと思う。そもそも面白い存在の作曲家であるにもかかわらず、あまり積極的に録音に取り上げられることがなく、私たちにとって未知の部分が多い作曲家だったが、有森の素晴らしい質の高い演奏でそのピアノ・ソロ作品を聴けるということは、それだけで、音楽フアンにとって福音と言えるものだ。
カバレフスキーについて少し触れると、彼は20世紀ソヴィエトにあって、「社会主義リアリズム派」の音楽家とされる。彼はソヴィエト音楽を指導する立場にいた人物であったため、このカテゴリに分類されている。しかし、当時のソヴィエトでは“音楽的分り易いさ”を標榜する「社会主義リアリズム」と別に、これと対抗する音楽価値、たとえば十二音音楽等の技法による現代音楽を志すグループも活発な活動を行っていて、カバレフスキー自身、どちらとも親交があったとされる。ということで、カバレフスキーは音楽に多様な価値を認める教養や視点のあった人物だったのだろう。
今回収録されたのは、「24の前奏曲」と「24の小品集」、それに「やさしい変奏曲集」なる2曲の小さな変奏曲。「24の前奏曲」はショパンの同名作同様、24の調性による小曲集で、旋律をロシア民謡に求めている点が特徴だ。しかし、カバレフスキー特有のリズム感や推進力をもった装飾が施されていて、まとまった進行感のあるたいへん聴いていて心地のよい楽曲集として仕上がっている。和声の扱いが保守的な点も聞きやすさを助長していて、その印象は、やはり「ロシア・アヴァンギャルド」ではなく「社会主義リアリズム」に分類されることになるだろう。もちろん、わざわざ分類する必要性などないのかもしれないが。
「24の小品集」は全曲で演奏時間が10分くらいなので、1曲平均30秒未満という本当に小さな、それこそモチーフとでも呼びたいような曲片の集まりだ。カバレフスキーが得意とした学習目的の曲で、情緒的な側面がよく備わっているのが一流の作曲家の証しと言えよう。
有森の解釈は、一つ一つの小曲を全力で表現した風で、力強いピアニズム、豊かな音色を駆使し、豪壮に仕上げた趣だ。それらは「小曲集」という作品のタイトルから齟齬を感じるものかもしれないが、聴いてみると、カバレフスキー特有の音楽の鳴りが立派に提示され、説得力に満ちていて、いつのまにか、その世界に誘われる演奏と言える。まさにカバレフスキーを解釈した芸術家の見事な仕事だと実感する。やはりこの人は目の離せないピアニストだ。
それにしてもカバレフスキー(Dmitri Borisovich Kabalevsky 1904-1987)という作曲家に着目し、その作品を集中的に録音するという発想は慧眼だと思う。そもそも面白い存在の作曲家であるにもかかわらず、あまり積極的に録音に取り上げられることがなく、私たちにとって未知の部分が多い作曲家だったが、有森の素晴らしい質の高い演奏でそのピアノ・ソロ作品を聴けるということは、それだけで、音楽フアンにとって福音と言えるものだ。
カバレフスキーについて少し触れると、彼は20世紀ソヴィエトにあって、「社会主義リアリズム派」の音楽家とされる。彼はソヴィエト音楽を指導する立場にいた人物であったため、このカテゴリに分類されている。しかし、当時のソヴィエトでは“音楽的分り易いさ”を標榜する「社会主義リアリズム」と別に、これと対抗する音楽価値、たとえば十二音音楽等の技法による現代音楽を志すグループも活発な活動を行っていて、カバレフスキー自身、どちらとも親交があったとされる。ということで、カバレフスキーは音楽に多様な価値を認める教養や視点のあった人物だったのだろう。
今回収録されたのは、「24の前奏曲」と「24の小品集」、それに「やさしい変奏曲集」なる2曲の小さな変奏曲。「24の前奏曲」はショパンの同名作同様、24の調性による小曲集で、旋律をロシア民謡に求めている点が特徴だ。しかし、カバレフスキー特有のリズム感や推進力をもった装飾が施されていて、まとまった進行感のあるたいへん聴いていて心地のよい楽曲集として仕上がっている。和声の扱いが保守的な点も聞きやすさを助長していて、その印象は、やはり「ロシア・アヴァンギャルド」ではなく「社会主義リアリズム」に分類されることになるだろう。もちろん、わざわざ分類する必要性などないのかもしれないが。
「24の小品集」は全曲で演奏時間が10分くらいなので、1曲平均30秒未満という本当に小さな、それこそモチーフとでも呼びたいような曲片の集まりだ。カバレフスキーが得意とした学習目的の曲で、情緒的な側面がよく備わっているのが一流の作曲家の証しと言えよう。
有森の解釈は、一つ一つの小曲を全力で表現した風で、力強いピアニズム、豊かな音色を駆使し、豪壮に仕上げた趣だ。それらは「小曲集」という作品のタイトルから齟齬を感じるものかもしれないが、聴いてみると、カバレフスキー特有の音楽の鳴りが立派に提示され、説得力に満ちていて、いつのまにか、その世界に誘われる演奏と言える。まさにカバレフスキーを解釈した芸術家の見事な仕事だと実感する。やはりこの人は目の離せないピアニストだ。
有森 博/カバレフスキー
2007年11月は有森博の新譜が2枚発売された。そのうち一枚は「露西亜秘曲集」と銘打って、様々な作曲家の作品を集めたものだったが、こちらはカバレフスキーの作品を収録したもの。どちらも収録曲の録音自体が貴重なだけでなく、演奏も超一級の素晴らしい内容だと思う。
有森博のピアノの美点はいろいろあるけれど、まずその音と音の間合いがとてもよい。スピード感を失わず、かつ十分な音楽的で自然な呼吸が感じられる。音楽の流れや見通しが十全で、<それがどのような音楽であるか>をたちどころに聴き手に伝える力がある。そして特に最近の邦人ピアニストの録音にうかがえる過度の「音質の軽量化」がない点は特筆すべきだと思う。これはまさにこのピアニストが、もっとも骨太なロマンティシズムを持つ「ロシア・ピアニズム」を完全に吸収した上で、自己のものとして消化しているためではないだろうか(もちろん、これは私の推測だけど)。
さて、カバレフスキーの曲。これは、たぶん多くの人がプロコフィエフを連想すると思う。プロコフィエフと比べると過激さは減じるが、いくぶん優しい側面を持っている。ソナタ第3番は充実した作品で傑作と呼ぶに相応しい内容を誇る。もっともプロコフィエフの色彩を感じるものともいえる。第2番は第2楽章が美しい。淡々と奏でられる右手の不思議な旋律に、低音で遠雷のように低く繰り返される特徴ある音型は印象的。スクリャービンに繋がる官能的な音楽と言える。ソナチネ第1番はソフロニツキーの録音と比べたが、両者の解釈は実に似ている。有森の「ロシア・ピアニズム」が本流であることを刻む。
有森博のピアノの美点はいろいろあるけれど、まずその音と音の間合いがとてもよい。スピード感を失わず、かつ十分な音楽的で自然な呼吸が感じられる。音楽の流れや見通しが十全で、<それがどのような音楽であるか>をたちどころに聴き手に伝える力がある。そして特に最近の邦人ピアニストの録音にうかがえる過度の「音質の軽量化」がない点は特筆すべきだと思う。これはまさにこのピアニストが、もっとも骨太なロマンティシズムを持つ「ロシア・ピアニズム」を完全に吸収した上で、自己のものとして消化しているためではないだろうか(もちろん、これは私の推測だけど)。
さて、カバレフスキーの曲。これは、たぶん多くの人がプロコフィエフを連想すると思う。プロコフィエフと比べると過激さは減じるが、いくぶん優しい側面を持っている。ソナタ第3番は充実した作品で傑作と呼ぶに相応しい内容を誇る。もっともプロコフィエフの色彩を感じるものともいえる。第2番は第2楽章が美しい。淡々と奏でられる右手の不思議な旋律に、低音で遠雷のように低く繰り返される特徴ある音型は印象的。スクリャービンに繋がる官能的な音楽と言える。ソナチネ第1番はソフロニツキーの録音と比べたが、両者の解釈は実に似ている。有森の「ロシア・ピアニズム」が本流であることを刻む。