初舞台・彼岸花 里見トン作品選 (講談社文芸文庫)
里見という名を始めて知ったのは小津安二郎の映画の原作者としてその読みにくい名前をクレジットに連ねていたからですが、小津の「彼岸花」の原作を読んでやろうと思って買ってみたら、最初はこの上なく読み難く感じ、しかし何度も何度も繰り返し読むうちに段々面白味が分かりかけた所へ、鶴井俊輔氏の「白樺で戦争協力しなかったのは里見と柳宗悦だけなんだ」という証言を「戦争が遺したもの」という本で読んで、更に好感を持つようになって読んでみると、鶴見氏の言う白樺の始まりの動機である「権威への反発」という要素が、「みごとな醜聞」に良く表れているのが感じられ、それが形を変えて「彼岸花」にまでつながっているのを読むと、小津安二郎の映画の世界も、ただ老境に達した「白樺派的な趣味と余裕の世界」とばかりは見えなくなってくるから面白いものです。「銀次郎の片腕」は、ロシアの文学に影響を受けたと巻末の解説にありますが、私は現代スコットランドの作家ウェルシュの短編「幸福はいつも隠れてる」を思い出しました。
里見トン随筆集 (岩波文庫)
白樺派の作家にして有島の三男である里見とんによる自身の青春時代の回想と周りを取り巻く人々を描く随筆。
彼の放蕩を繰り返すエピソードは白樺のそれとは大きくかけ離れていて不思議な心持になります。
そして志賀直哉との不思議な関係、師・泉鏡花とのエピソード。
品行方正な有島(長男)は漬物だけは取るだけとってガッつき、鏡花は潔癖でぐつぐつ煮詰まるまで鍋を食べられなかった云々。
彼の放蕩を繰り返すエピソードは白樺のそれとは大きくかけ離れていて不思議な心持になります。
そして志賀直哉との不思議な関係、師・泉鏡花とのエピソード。
品行方正な有島(長男)は漬物だけは取るだけとってガッつき、鏡花は潔癖でぐつぐつ煮詰まるまで鍋を食べられなかった云々。
恋ごころ 里見トン短篇集 (講談社文芸文庫)
有島武郎の弟で白樺派の一人と文学史的には知っていたし、面白いと噂には聞いていたけど初めて読みました。いや、おもしろい。短編というには一つ一つがやや長めの本作では「縁談窶」と「妻を買う経験」がよかった。
前者は大正14年に書かれたもので、初老の男が幼いころから知っている知り合いの娘が、適齢期を迎えて見合いを繰り返すのだが、男からみると娘は「縁談窶(やつれ)」ともいうべき精神的に不安定な状態にある。そんな娘を男は鎌倉の家に招待するのだが、、、という話。後者は昭和22年に書かれたもので、これも初老の男の知り合いの息子が芸者と結婚したいと言い出して、お金のことやら家族のことやらを引き受けた男が、うまく話をまとめようとして仲介しようとするが、、、という話。
ともに、「観察者」である主人公の細部にわたる詳細な報告もすばらしいし、それが自分に跳ね返ってきて記憶をまぜかえすのもすばらしい。ヘンリー・ジェイムズの名作「大使たち」に負けないといっては言い過ぎかもしれないが、内的独白と仲介者の悲哀の感覚は珠玉の出来栄えです。
前者は大正14年に書かれたもので、初老の男が幼いころから知っている知り合いの娘が、適齢期を迎えて見合いを繰り返すのだが、男からみると娘は「縁談窶(やつれ)」ともいうべき精神的に不安定な状態にある。そんな娘を男は鎌倉の家に招待するのだが、、、という話。後者は昭和22年に書かれたもので、これも初老の男の知り合いの息子が芸者と結婚したいと言い出して、お金のことやら家族のことやらを引き受けた男が、うまく話をまとめようとして仲介しようとするが、、、という話。
ともに、「観察者」である主人公の細部にわたる詳細な報告もすばらしいし、それが自分に跳ね返ってきて記憶をまぜかえすのもすばらしい。ヘンリー・ジェイムズの名作「大使たち」に負けないといっては言い過ぎかもしれないが、内的独白と仲介者の悲哀の感覚は珠玉の出来栄えです。