その男ゾルバ [DVD]
「道」とならぶ、アンソニー・クイーンの代表作であり、大好きな映画だ。もう40年近くたつのではなかろうか。英国から頼りない青年作家がギリシャにやってくる。たしかクレタ島だったと思うが、そこで何か事業をと考えているが、偶然、知りあった男、ゾルバをアシスタントとして傭う。こうして、二人の不思議な日々が始まる。ギリシャがいまよりもっと貧しい時代の話。酒飲みで、女好きなゾルバだが、明るく、憎めない性格。それに対して真面目でおとなしい青年作家。不思議と馬が合う。このコンビに島で暮らす老いた淑女が加わり、物語は展開する。ヨーロッパの田舎の土の臭いがするような映画で、ギリシャ音楽と相まって、魅力的な情緒を醸し出している。どんな事業を始めるか。ゾルバが考えた事業はアイデアとしてはなかなか面白いのだが、一瞬にして崩壊してしまう。青年作家は金を使い果たし、事業の夢は無残な結果となる。しかし、ここからが愉快になる。本来なら深刻な状態なのに、二人はあまりにも無残な結果に笑い転げる。事業が終われば青年作家は英国へ帰る、ゾルバともお別れだ。そこで青年作家はゾルバにギリシャ・ダンスを教えて欲しいという。海辺で男二人がギリシャダンスを踊る。このシーンが素晴らしい。アンソニー・クイーンが男の色気を発散しながら、ギリシャ独特の哀感ある音楽に合わせ踊るラストシーンは何度見ても感動する。アンソニー・クイーンははまり役で、いま見てもまったく色褪せない名作と思う。
テオドラキス作品集
ミキス・テオドラキス(Mikis Theodrakis 1925- )はギリシアのキオス島出身。若い頃は平和活動家としてもしられたが、後に映画音楽の世界で名をなす。
代表作は「その男ゾルバ」「エレクトラ」などである。
テオドラキスの作曲家としての力量はかのストラヴィンスキーでさえ賞賛を惜しまなかったそうだ。
「その男ゾルバ」のサウンドトラックは現代ギリシアの歌の込められた作品として、高い価値が置かれている。
一方、ここで聴かれるバレエ音楽「ゾルバ」に溢れる熱量は実に壮大だ。
冒頭から力強い管弦楽の熱狂に導かれて合唱が始まりを告げる。
その後ソプラノの歌唱を中心に抒情的な内容をもつ部分と情熱的で大きく盛りあがる部分が交錯して音楽が進んでいく。
オーケストレーションの鮮烈な効果は実に見事だし、楽曲の構成感も卓越している。
もちろんいわゆる現代音楽的な難しさはまったくなく純粋に楽しめる楽曲ばかりだ。
これらの作品群にデュトワが録音を試みた価値はきわめて高い。
代表作は「その男ゾルバ」「エレクトラ」などである。
テオドラキスの作曲家としての力量はかのストラヴィンスキーでさえ賞賛を惜しまなかったそうだ。
「その男ゾルバ」のサウンドトラックは現代ギリシアの歌の込められた作品として、高い価値が置かれている。
一方、ここで聴かれるバレエ音楽「ゾルバ」に溢れる熱量は実に壮大だ。
冒頭から力強い管弦楽の熱狂に導かれて合唱が始まりを告げる。
その後ソプラノの歌唱を中心に抒情的な内容をもつ部分と情熱的で大きく盛りあがる部分が交錯して音楽が進んでいく。
オーケストレーションの鮮烈な効果は実に見事だし、楽曲の構成感も卓越している。
もちろんいわゆる現代音楽的な難しさはまったくなく純粋に楽しめる楽曲ばかりだ。
これらの作品群にデュトワが録音を試みた価値はきわめて高い。
その男ゾルバ (特別編) [DVD]
原題はただの「ギリシア人ゾルバ」。この映画を見て驚いたのは、クレタ島の住民の余所者と仲間内の異端者に対する恐るべき敵意と反感であった。
彼らは外部から訪れた我らが主人公(アラン・ベイツ)が島一番の美女(イレーヌ・パパス)と恋に落ちて一夜を共にしたと知るや、(まるでヨハネ伝第8章に出てくるような光景!)、全員で石を投げつけ、あまつさえ(まるで子羊をほふるように)ナイフで喉を切り殺してしまうのであるが、かつての華やかな古代文明をになった末裔たちがこんな野蛮な振舞いを実際に行っていたのであろうか?
もしもそうならとんでもない話であるし、事実無根ならこの映画の描き方に対してきちんと提訴するべきだろう。
それにしてももしこれが実話で、おのれが愛した美しい未亡人が村人に虐殺される現場に居合わせた物語の主人公が、何もしないで傍観していたならこれこそ天人'に絶対に許されない行為だと思う。
そしてこの哀れな未亡人役を演じるアラン・ベイツとともに比類ない人物造型を示すのはフランスから村に漂着した元踊り子のリラ・ケロドヴァ、そして表題ゾルバ役のギリシア人を演ずるアンソニークインで、特に後者の人間マグマのごとき不滅の存在感はさながら「最後のネアンデタール人」のようだ。
現世の有象無象を見下して君は最後のネアンデタール人 蝶人
彼らは外部から訪れた我らが主人公(アラン・ベイツ)が島一番の美女(イレーヌ・パパス)と恋に落ちて一夜を共にしたと知るや、(まるでヨハネ伝第8章に出てくるような光景!)、全員で石を投げつけ、あまつさえ(まるで子羊をほふるように)ナイフで喉を切り殺してしまうのであるが、かつての華やかな古代文明をになった末裔たちがこんな野蛮な振舞いを実際に行っていたのであろうか?
もしもそうならとんでもない話であるし、事実無根ならこの映画の描き方に対してきちんと提訴するべきだろう。
それにしてももしこれが実話で、おのれが愛した美しい未亡人が村人に虐殺される現場に居合わせた物語の主人公が、何もしないで傍観していたならこれこそ天人'に絶対に許されない行為だと思う。
そしてこの哀れな未亡人役を演じるアラン・ベイツとともに比類ない人物造型を示すのはフランスから村に漂着した元踊り子のリラ・ケロドヴァ、そして表題ゾルバ役のギリシア人を演ずるアンソニークインで、特に後者の人間マグマのごとき不滅の存在感はさながら「最後のネアンデタール人」のようだ。
現世の有象無象を見下して君は最後のネアンデタール人 蝶人