太陽がもったいない (単行本)
作家としての観察眼が植物を育てる経験を切り口にして、人生の取説になっています。等身大のエッセイで、植物を育てることへの愛が生きること、人生のことを考えることにまではみ出してきます。著者の観察眼、考え方がいろいろと表現されている。自己啓発の匂いもないし、そういうのが嫌いな人も大丈夫です。著者の初エッセイですね。
指先からソーダ (河出文庫)
新聞の土曜版の連載で最初に読んだのはたしか「シロップをこぼした場合の処置法」だった。ナオコーラ、なにもの、と思い、それからときどき切り抜いていた。今ファイルを見ると、「中庭に向かって開く窓」の「『自分』というのは、自分の身体の分のときもあれば、地球の大きさのときもあるんです」のところを赤で囲んでいる。「冬の擬人化」で、「オレは冬です」とトレンチコートを着て眼鏡をかけた若い男が透明な声で答えるところも赤で囲んでいる。これはきっと本になると思っていたら、やはりなったので、うれしい。
センスのいい文章を書く人は、今の若い人にはいくらでもいる。だいじなのは、そのいいセンスをもたらすものが何であるかだとすると、ナオコーラさんの場合は 自分と世界との接し方から出ているのではないかという気がする。
「高校のときに感じた「私は世界と繋がっていない」という感覚を、否定することなく、そのままこれからも大事に持っていきたい」「他人と共通の認識を持てる部分だけを『リアル』と定義したくない」「そうして、そのズレを生かして、『本当のリアル』を追求したい」と考えたとき、フィクションを書く、ということをしてみたくなります」
自分と世界とのこの関係は、緊張と言うよりは、ふしぎさとおかしみ。悲しみを含んだおかしみ。
この本のどの章にも、ふしぎさとおかしみと悲しみがあると思う。
好きな作家を見つけて、うれしい。
センスのいい文章を書く人は、今の若い人にはいくらでもいる。だいじなのは、そのいいセンスをもたらすものが何であるかだとすると、ナオコーラさんの場合は 自分と世界との接し方から出ているのではないかという気がする。
「高校のときに感じた「私は世界と繋がっていない」という感覚を、否定することなく、そのままこれからも大事に持っていきたい」「他人と共通の認識を持てる部分だけを『リアル』と定義したくない」「そうして、そのズレを生かして、『本当のリアル』を追求したい」と考えたとき、フィクションを書く、ということをしてみたくなります」
自分と世界とのこの関係は、緊張と言うよりは、ふしぎさとおかしみ。悲しみを含んだおかしみ。
この本のどの章にも、ふしぎさとおかしみと悲しみがあると思う。
好きな作家を見つけて、うれしい。