J.S. バッハ:無伴奏ソナタ&パルティータ集 (J.S.Bach: Sonatas & Partitas BWV 1004-1006 / Isabelle Faust (Vn))
この演奏家は、演奏会で聞いたことがあるが、CDではより完成された形に仕上がっている。
J.S.バッハ : 無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ BWV 1001-1006 (全曲) / イザベル・ファウスト (J.S.Bach : Sonatas & Partitas BWV 1001-1006 / Isabelle Faust) (3LP) [Limited Edition] [Analog]
2011年録音の、ドイツのヴァイオリニスト、イザベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)によるバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のソロ・ヴァイオリンのための作品集第2弾。2009年の第1弾と併せて、これで、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータの全曲が録音されたことになる。本盤の収録曲は以下の3曲。
1) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番
2) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第1番
3) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第2番
第1弾のレビューにも書かせていただいたが、本録音も神々しいほどの崇高な空気に満ちた偉大なものだと思う。ファウストはこれらの論理的均整感のとれた作品に、最もふさわしい手法でアプローチし、そして、楽曲の深淵を聴き手に伝えることに成功している。聴いていて、思わず身震いするほどの演奏、とでも形容すればいいだろうか。
ファウストは、これらの作品に対し、ビブラートの効果をきわめて抑制的に、しかし細やかに用いている。「艶やかさ」を削ぎながら、音楽の持つ対称性や対立性といった要素にくっきりと焦点を当て、荘厳な、ゴシック建築を彷彿とさせる “構造論上の完全性” を体現させている。調性の変化に対する反応、装飾音の扱いに至るまで、前述の目的性を持った明瞭な意識によって、強靭に支配下に置き、抑制と開放を操作している。
実際、この音楽を聴いていると、凄い、という感嘆以上に、ここまで出来るのか、といった彼岸の境地を垣間見たかのような、不思議な気持ちが沸き起こってくる。
この音楽は、完全に知性でコントロールされたものの典型だ。一切の感情的なものの強弱が、恐ろしいほどの集中力で、緊密に制御される。そのスリリングな味わいは様々な価値観を超越しているようにさえ感じる。
例えば、あの有名なソナタ第1番の終楽章。凄まじいテクニックによって、高速でパッセージが弾きぬかれるが、その刹那刹那の輝きの色合いがなんと厳しいことか。ここで聴き手が触れるのは、スコアを介して、作曲者と演奏者が瞬時に大量の情報を交わしている姿だと思う。その情報の正確さ、読み取る意識の明晰さが、この演奏の人を感動させる原動力になっているのだと思う。
決して速い楽章だけではない。トラック8及び10に相当するパルティータ第1番のクーラントやサラバンドのドゥーブル(Double;変奏)の部分。単音でありながら、発せられる一音一音に与えられた深さ。バッハが、ヴァイオリンという楽器に秘めた語法が紐解かれていくような、厳粛な重みを実感せずにはいられない。
このファウストのバッハは、歴史的名盤として語り継がれるに違いない。
1) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第1番
2) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第1番
3) 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第2番
第1弾のレビューにも書かせていただいたが、本録音も神々しいほどの崇高な空気に満ちた偉大なものだと思う。ファウストはこれらの論理的均整感のとれた作品に、最もふさわしい手法でアプローチし、そして、楽曲の深淵を聴き手に伝えることに成功している。聴いていて、思わず身震いするほどの演奏、とでも形容すればいいだろうか。
ファウストは、これらの作品に対し、ビブラートの効果をきわめて抑制的に、しかし細やかに用いている。「艶やかさ」を削ぎながら、音楽の持つ対称性や対立性といった要素にくっきりと焦点を当て、荘厳な、ゴシック建築を彷彿とさせる “構造論上の完全性” を体現させている。調性の変化に対する反応、装飾音の扱いに至るまで、前述の目的性を持った明瞭な意識によって、強靭に支配下に置き、抑制と開放を操作している。
実際、この音楽を聴いていると、凄い、という感嘆以上に、ここまで出来るのか、といった彼岸の境地を垣間見たかのような、不思議な気持ちが沸き起こってくる。
この音楽は、完全に知性でコントロールされたものの典型だ。一切の感情的なものの強弱が、恐ろしいほどの集中力で、緊密に制御される。そのスリリングな味わいは様々な価値観を超越しているようにさえ感じる。
例えば、あの有名なソナタ第1番の終楽章。凄まじいテクニックによって、高速でパッセージが弾きぬかれるが、その刹那刹那の輝きの色合いがなんと厳しいことか。ここで聴き手が触れるのは、スコアを介して、作曲者と演奏者が瞬時に大量の情報を交わしている姿だと思う。その情報の正確さ、読み取る意識の明晰さが、この演奏の人を感動させる原動力になっているのだと思う。
決して速い楽章だけではない。トラック8及び10に相当するパルティータ第1番のクーラントやサラバンドのドゥーブル(Double;変奏)の部分。単音でありながら、発せられる一音一音に与えられた深さ。バッハが、ヴァイオリンという楽器に秘めた語法が紐解かれていくような、厳粛な重みを実感せずにはいられない。
このファウストのバッハは、歴史的名盤として語り継がれるに違いない。