20世紀最大の謀略 赤軍大粛清 (学研M文庫)
著者は'68年の「プラハの春」で西独に亡命したチェコスロヴァキア(以下チェコと省略)出身の現代史研究家。彼が'42年にプラハで起こったナチス親衛隊NO.2のラインハルト・ハイドリッヒ暗殺事件を調べているうちに、'37年の旧ソ連赤軍高級幹部の大粛清に、ハイドリッヒと当時のチェコの政治家が深く関与していたことが判明し、本書を著すことになる。この20世紀の政治史最大の謎の真相とは?
1.ロシア革命後の欧州各地には、旧帝政時代の軍人などが反ソ連の組織を各地に作り、打倒ソ連を虎視眈々と狙っていた。一方ソ連もそのような組織を懐柔しようとメンバーを金銭で買収し、組織の中にスパイ網を作り上げていく。
2.旧帝政軍の猛将スコブリンもソ連のスパイとなるが、彼は小遣い欲しさに当時ナチス親衛隊保安部長のハイドリッヒにも接触する。彼はハイドリッヒに対し、ソ連の国民的英雄トハチェフスキー元帥を頭目とする軍人グループが、スターリン打倒の謀反を企んでいる、という半ガセ情報を伝える。
3.その話に乗ったハイドリッヒは、ト元帥がナチスと組んでスターリン打倒を目論んでいるという、精巧なニセ文書を作成し、赤軍の弱体化を画策する。問題はいかにしてクレムリンまでその文書を到達させるかである。そこでハイドリッヒは当時ナチスの侵略に怯えていたチェコの政治家を利用する(チェコは当時ソ連と同盟を結んでドイツをけん制していたので、スターリンが倒れれば自国の存在は危うくなる)。
4.その文書を見て驚愕した当時のチェコ大統領のベネシュは、直ちにソ連大使館に通報し、その文書は「無事に」クレムリンに辿り着くことになる。
5.そして'37年春からスターリンの命により、ト元帥を始めとする赤軍幹部の大粛清が開始されるが、この陰謀がなくともスターリンは遅かれ早かれ軍のトップを粛清するのは確実であったらしい。そして合計2万人に及ぶ赤軍将校が殺される。その人数の多さにヒトラーも驚いて「スターリンは気が狂った」と言わしめた。そして4年後に独ソ戦が始まり、緒戦におけるのドイツの大勝は、この事件のせいでソ連軍が弱体化したためである。
この国家間の恐るべき陰謀と、究極のマキャベリズムにはただただ畏れ慄くしかない。ちなみにスコブリンがハイドリッヒに接触するようにしむけたのはソ連の情報部という説も根強くある。しかしながら、結果論的に言わせてもらうと、この陰謀のせいでソ連軍の対独戦の勝利が遅れ、満州への侵攻も遅れたと考えても良いのではないか?つまりは昭和20年8月15日のタイムリミットまでに時間が足りなかったソ連軍は、日本まで到達できなかった。はなはだ不本意ではあるが、戦後かろうじてわが国の独立が保たれたのは、ナチスとハイドリッヒによるこの作戦が遠因となってる、と言ったら言い過ぎであろうか?
1.ロシア革命後の欧州各地には、旧帝政時代の軍人などが反ソ連の組織を各地に作り、打倒ソ連を虎視眈々と狙っていた。一方ソ連もそのような組織を懐柔しようとメンバーを金銭で買収し、組織の中にスパイ網を作り上げていく。
2.旧帝政軍の猛将スコブリンもソ連のスパイとなるが、彼は小遣い欲しさに当時ナチス親衛隊保安部長のハイドリッヒにも接触する。彼はハイドリッヒに対し、ソ連の国民的英雄トハチェフスキー元帥を頭目とする軍人グループが、スターリン打倒の謀反を企んでいる、という半ガセ情報を伝える。
3.その話に乗ったハイドリッヒは、ト元帥がナチスと組んでスターリン打倒を目論んでいるという、精巧なニセ文書を作成し、赤軍の弱体化を画策する。問題はいかにしてクレムリンまでその文書を到達させるかである。そこでハイドリッヒは当時ナチスの侵略に怯えていたチェコの政治家を利用する(チェコは当時ソ連と同盟を結んでドイツをけん制していたので、スターリンが倒れれば自国の存在は危うくなる)。
4.その文書を見て驚愕した当時のチェコ大統領のベネシュは、直ちにソ連大使館に通報し、その文書は「無事に」クレムリンに辿り着くことになる。
5.そして'37年春からスターリンの命により、ト元帥を始めとする赤軍幹部の大粛清が開始されるが、この陰謀がなくともスターリンは遅かれ早かれ軍のトップを粛清するのは確実であったらしい。そして合計2万人に及ぶ赤軍将校が殺される。その人数の多さにヒトラーも驚いて「スターリンは気が狂った」と言わしめた。そして4年後に独ソ戦が始まり、緒戦におけるのドイツの大勝は、この事件のせいでソ連軍が弱体化したためである。
この国家間の恐るべき陰謀と、究極のマキャベリズムにはただただ畏れ慄くしかない。ちなみにスコブリンがハイドリッヒに接触するようにしむけたのはソ連の情報部という説も根強くある。しかしながら、結果論的に言わせてもらうと、この陰謀のせいでソ連軍の対独戦の勝利が遅れ、満州への侵攻も遅れたと考えても良いのではないか?つまりは昭和20年8月15日のタイムリミットまでに時間が足りなかったソ連軍は、日本まで到達できなかった。はなはだ不本意ではあるが、戦後かろうじてわが国の独立が保たれたのは、ナチスとハイドリッヒによるこの作戦が遠因となってる、と言ったら言い過ぎであろうか?
本当に残酷な中国史大著「資治通鑑」を読み解く (角川SSC新書)
総ページ数、実に1万。戦国時代から北宋の建国直前まで1400年に及ぶ
中国波乱の歴史が綴られた歴史的大著、司馬光の資治通鑑。
その分量の膨大さに加えて、編年体という読み難さと内容の苛烈さが影響し
たのか、歴史書としても実用書としても、古くからその存在の重要性が評価
されながら、かつて一度も日本で全訳されたことがない幻の書である。
関連書籍も少ない。
本書では、その膨大な本文及び注釈の中から特に、日本人には到底行うこと
が出来ない、ばかりか理解することも信じることも出来ないエピソードが
枚数の許すかぎり、集中的に取り上げられている。
筆者は「司馬光は書きながら血の涙を流していたに違いない」と述べている
が、自分も読みながらそういう気持ちになった。
中国という地域は、日本とは目と鼻の距離にある隣国であるが、我々日本人
が辿った(穏やかな)歴史とは全く異なっている。異なる民族同士が地続き
で接しているということは、そういうことになってしまうのかと、本書を読
んで改めて認識することになった。
我が国の歴史の中で、目を覆うような惨事としては、比叡山の僧侶や長島の
一向宗門徒が受けた無差別な焼討ち、荒木村重や豊臣秀次一族の受難が思い
起こされるが、あまり比較にはならない。それらを何倍も苛烈、かつ大規模
にしたうえで、執拗に繰り返したのが中国の歴史であると言える。
力ある者の野心や怨恨、そして食料事情の変化は戦乱や飢餓という形になっ
て直接的かつ迅速に人々を襲う。中国の人たちは、なんと困難な道をそれも
長期に渡って歩んで来たのか?同情というより寧ろ、敬服の様な気持ちが湧
いて来る。
本文で引用された明治に活躍した京都大学文学部教授の桑原隲蔵の言葉は極
めて重要である。「支那人をよく理会する為には表裏二面より彼等を観察す
る必要がある。経伝詩文によって、支那人の長所美点を会得するのも無論必
要であるが、同時にその反対の方面をも一応心得置くべきことと思ふ。」
中国の善や優れている面については、論語や老子、史記や三国志で広く知ら
れており、我々は充分過ぎるほど潤沢に入手出来ると考えて良いと思うが、
本書の様に、反対の面の歴史に対して徹底的にフォーカスがあてられたもの
はあまり見かけない。(嫌中論は論外)ここに本書の存在意義がある。
現代は急速にグローバル社会に向かっており、これからは広く他国の人々の
歴史や文化、土地柄への理解と敬意を我々は深めて行かねばならないが、異
なる歴史を歩んで来た人たちを、決してそう簡単に分かったつもりになって
はいけないことを本書で痛感させられた。
内容の強烈さがゆえに、最初の100ページほどは読み進めて行くのが少し
困難であったが、そのうち慣れた。そして読み終わった後は、それまで頭の
中にはまったく存在していなかった知識と理解が、確実に生じていると同時
に「こんな本は本当は読みたくはなかったのだが、読んでおいて良かった」
という大変矛盾した感想が得られる一冊である。
以上
中国波乱の歴史が綴られた歴史的大著、司馬光の資治通鑑。
その分量の膨大さに加えて、編年体という読み難さと内容の苛烈さが影響し
たのか、歴史書としても実用書としても、古くからその存在の重要性が評価
されながら、かつて一度も日本で全訳されたことがない幻の書である。
関連書籍も少ない。
本書では、その膨大な本文及び注釈の中から特に、日本人には到底行うこと
が出来ない、ばかりか理解することも信じることも出来ないエピソードが
枚数の許すかぎり、集中的に取り上げられている。
筆者は「司馬光は書きながら血の涙を流していたに違いない」と述べている
が、自分も読みながらそういう気持ちになった。
中国という地域は、日本とは目と鼻の距離にある隣国であるが、我々日本人
が辿った(穏やかな)歴史とは全く異なっている。異なる民族同士が地続き
で接しているということは、そういうことになってしまうのかと、本書を読
んで改めて認識することになった。
我が国の歴史の中で、目を覆うような惨事としては、比叡山の僧侶や長島の
一向宗門徒が受けた無差別な焼討ち、荒木村重や豊臣秀次一族の受難が思い
起こされるが、あまり比較にはならない。それらを何倍も苛烈、かつ大規模
にしたうえで、執拗に繰り返したのが中国の歴史であると言える。
力ある者の野心や怨恨、そして食料事情の変化は戦乱や飢餓という形になっ
て直接的かつ迅速に人々を襲う。中国の人たちは、なんと困難な道をそれも
長期に渡って歩んで来たのか?同情というより寧ろ、敬服の様な気持ちが湧
いて来る。
本文で引用された明治に活躍した京都大学文学部教授の桑原隲蔵の言葉は極
めて重要である。「支那人をよく理会する為には表裏二面より彼等を観察す
る必要がある。経伝詩文によって、支那人の長所美点を会得するのも無論必
要であるが、同時にその反対の方面をも一応心得置くべきことと思ふ。」
中国の善や優れている面については、論語や老子、史記や三国志で広く知ら
れており、我々は充分過ぎるほど潤沢に入手出来ると考えて良いと思うが、
本書の様に、反対の面の歴史に対して徹底的にフォーカスがあてられたもの
はあまり見かけない。(嫌中論は論外)ここに本書の存在意義がある。
現代は急速にグローバル社会に向かっており、これからは広く他国の人々の
歴史や文化、土地柄への理解と敬意を我々は深めて行かねばならないが、異
なる歴史を歩んで来た人たちを、決してそう簡単に分かったつもりになって
はいけないことを本書で痛感させられた。
内容の強烈さがゆえに、最初の100ページほどは読み進めて行くのが少し
困難であったが、そのうち慣れた。そして読み終わった後は、それまで頭の
中にはまったく存在していなかった知識と理解が、確実に生じていると同時
に「こんな本は本当は読みたくはなかったのだが、読んでおいて良かった」
という大変矛盾した感想が得られる一冊である。
以上