鹿児島県吉田産 薩摩なた豆 元気茶 3g×30包
飲んだり飲まなかったりはありますが、お気に入りのお茶なので家では切らさないようにしていました。
私がこちらで注文した時は、2745円で別途380円だったのでとてもお買い得!と思って注文しました。
お茶は間違いなく良かったです。ただ、、、こちらに注文した日にちが9月22日。発送予定日が10月5日だったのでずいぶん遅いなと思いました。それを承知で注文しましたが、その後商品の発送予定日が10月5日から10月9日に変更になり、、、なんだか待ちくたびれました。。。それが残念でした。
私がこちらで注文した時は、2745円で別途380円だったのでとてもお買い得!と思って注文しました。
お茶は間違いなく良かったです。ただ、、、こちらに注文した日にちが9月22日。発送予定日が10月5日だったのでずいぶん遅いなと思いました。それを承知で注文しましたが、その後商品の発送予定日が10月5日から10月9日に変更になり、、、なんだか待ちくたびれました。。。それが残念でした。
薩摩藩 精強無比の千年史 (歴史探訪シリーズ ・晋遊舎ムック)
島津氏とは?その出身は?どんな事をしてきたのか?知りたかったことが大体わかりました。秦氏の流れである部分に、特別な意味合いを見出しました。ありがとうございます。
薩摩スチューデント、西へ (光文社時代小説文庫)
「イギリスはおいしい」の林望さんがこういう歴史記録小説を書けるのだ、と驚きました。1865年違法でも軍事/医学/理学を学びに、ロンドンに留学しにいった15人の学生と五代友厚ら引率者達を史料に基づいて書いているようです。「深夜特急」(沢木耕太郎)のように、わくわくしながら読む内に、西に船が進んでいきます。
小生の印象に残った点は以下です。
・尊皇攘夷の人も、香港、シンガポール、ボンベイと英国の力を見る内に、「知らなかったことの恐ろしさ」「交易の大事さ」「弱肉強食と慈愛を併せ持つ英国文化」を体感していく。
・五代/薩摩の貿易力を元に、一等船室で英国へ。グラバーが手厚く手配。
・武市指揮下で吉田東洋を切った土佐人:高見弥一も参加
・インド人から「南北戦争で綿花高騰」を五代が聞く。
・フランス(ナポレオン3世)が押し進めるスエズ運河はまだ工事中。リスクをシェアする会社制度の力を見る。対抗する英国の蒸気機関車でアレキサンドリアへ。
・グラバーや旅の引率者はスコットランド人。
・ロンドンの6月に到着し、ユニヴァーシティ・カレッジが開講する9月までは、英語と理科を家庭教師から勉強。蒸気トラクタの見学では、構造理解/習得の早さで工場主に感心される。
・数年前に付いた長州からの留学生(学費打切りで困窮中)とも合流。
・薩摩も、蒸気船/武器購入費で金がなくなり、本来数年予定の留学は1年以内に中断。帰国したり、米国神秘主義的キリスト教団:ハリス教団に入ったりしてバラバラに。
・米国ハリス教団に入ったものの内、
畠山善成は脱退して、米国ラトガス・カレッジで勉強、帰国して岩倉使節団通訳/記録係になり、東大(東京開成学校)の初代校長/国会図書館/博物館館長に。34歳で結核で死去。
松村淳蔵も脱退して、ラトガス・カレッジを卒業後、アナポリス海軍学校卒で、帰国。海軍中佐に。海軍中将になり1919年天寿全う。
吉田清成も脱退して、ラトガス・カレッジで勉強、ウィルブラム大で財務を修め、帰国後は大蔵省、外務省、農商務、枢密院顧問となり、47歳で死去。
鮫島尚信は、ハリスから日本に帰され外務次官に。駐仏公使兼ポルトガル・スペイン公使の過労で脳出血で36歳で死去。
森有礼も日本に帰され外務卿に。右翼に刺されて43歳で死去。
長沢鼎は、ハリス教団のカリフォルニア州サンタローザ転居にも同行。カリフォルニアの葡萄王となる。1934年長寿を全う。
鬱病のようになった者、帰国後消息不明の者、出家した者、そして多くは短命でした。意気込んで行ったロンドン留学では1年も勉強できませんでした。最も輝いていたのは、行きの一等船室の2ヶ月の船中だったのかも。13歳で渡英し、サンタローザに小さな記念館がある長沢鼎は、何度か鹿児島に帰省しましたが、どのような気持ちだったのでしょう...。最初の明るさと「やがて悲しき」結末と。時代のうねりを感じます。
小生の印象に残った点は以下です。
・尊皇攘夷の人も、香港、シンガポール、ボンベイと英国の力を見る内に、「知らなかったことの恐ろしさ」「交易の大事さ」「弱肉強食と慈愛を併せ持つ英国文化」を体感していく。
・五代/薩摩の貿易力を元に、一等船室で英国へ。グラバーが手厚く手配。
・武市指揮下で吉田東洋を切った土佐人:高見弥一も参加
・インド人から「南北戦争で綿花高騰」を五代が聞く。
・フランス(ナポレオン3世)が押し進めるスエズ運河はまだ工事中。リスクをシェアする会社制度の力を見る。対抗する英国の蒸気機関車でアレキサンドリアへ。
・グラバーや旅の引率者はスコットランド人。
・ロンドンの6月に到着し、ユニヴァーシティ・カレッジが開講する9月までは、英語と理科を家庭教師から勉強。蒸気トラクタの見学では、構造理解/習得の早さで工場主に感心される。
・数年前に付いた長州からの留学生(学費打切りで困窮中)とも合流。
・薩摩も、蒸気船/武器購入費で金がなくなり、本来数年予定の留学は1年以内に中断。帰国したり、米国神秘主義的キリスト教団:ハリス教団に入ったりしてバラバラに。
・米国ハリス教団に入ったものの内、
畠山善成は脱退して、米国ラトガス・カレッジで勉強、帰国して岩倉使節団通訳/記録係になり、東大(東京開成学校)の初代校長/国会図書館/博物館館長に。34歳で結核で死去。
松村淳蔵も脱退して、ラトガス・カレッジを卒業後、アナポリス海軍学校卒で、帰国。海軍中佐に。海軍中将になり1919年天寿全う。
吉田清成も脱退して、ラトガス・カレッジで勉強、ウィルブラム大で財務を修め、帰国後は大蔵省、外務省、農商務、枢密院顧問となり、47歳で死去。
鮫島尚信は、ハリスから日本に帰され外務次官に。駐仏公使兼ポルトガル・スペイン公使の過労で脳出血で36歳で死去。
森有礼も日本に帰され外務卿に。右翼に刺されて43歳で死去。
長沢鼎は、ハリス教団のカリフォルニア州サンタローザ転居にも同行。カリフォルニアの葡萄王となる。1934年長寿を全う。
鬱病のようになった者、帰国後消息不明の者、出家した者、そして多くは短命でした。意気込んで行ったロンドン留学では1年も勉強できませんでした。最も輝いていたのは、行きの一等船室の2ヶ月の船中だったのかも。13歳で渡英し、サンタローザに小さな記念館がある長沢鼎は、何度か鹿児島に帰省しましたが、どのような気持ちだったのでしょう...。最初の明るさと「やがて悲しき」結末と。時代のうねりを感じます。