親子の時間
作家自身と思われる父親と母親、一姫二太郎の家族五人が主人公。丘陵に建つわが家の平々凡々とした日々の暮らしがつづられた作品集です。
料理のこと、木々のこと、小鳥のこと、訪れる父や子供の友人たちなど、言葉にしなければ記憶の中に埋もれてしまうようなたわいのない時間を、作者は丹念に紡いでいきます。
ほぼ半分を占めるのが、批評家の河上徹太郎夫婦との交流を描いた「山の上に憩いあり」です。子どものいない河上夫妻を、クリスマスに自宅に招いての家族総出によるもてなしが温かく描かれています。母親同士の合唱、子供たちの演奏、寸劇、そして工夫を凝らしたプレゼントのやりとりの場面などは、殺伐としたニュースが多い今では、宝石のように貴重なものにさえ感じられました。
感激した河上徹太郎が子供たちに何度も握手を求めたり、プレゼントされた杖を絶句して抱きしめる場面は、子どものいない夫婦の寂寥をはからずも強く印象づけていますね。
庄野潤三は遠藤周作、安岡章太郎などとともに「第三の新人」といわれた作家の1人です。晩年、家族の日々の暮らしを描いた一連の小説で話題になりましたが、決して旬とは言えないこの作家の作品をハードカバーで出すところに夏葉社の自信と見識が伺えます。
料理のこと、木々のこと、小鳥のこと、訪れる父や子供の友人たちなど、言葉にしなければ記憶の中に埋もれてしまうようなたわいのない時間を、作者は丹念に紡いでいきます。
ほぼ半分を占めるのが、批評家の河上徹太郎夫婦との交流を描いた「山の上に憩いあり」です。子どものいない河上夫妻を、クリスマスに自宅に招いての家族総出によるもてなしが温かく描かれています。母親同士の合唱、子供たちの演奏、寸劇、そして工夫を凝らしたプレゼントのやりとりの場面などは、殺伐としたニュースが多い今では、宝石のように貴重なものにさえ感じられました。
感激した河上徹太郎が子供たちに何度も握手を求めたり、プレゼントされた杖を絶句して抱きしめる場面は、子どものいない夫婦の寂寥をはからずも強く印象づけていますね。
庄野潤三は遠藤周作、安岡章太郎などとともに「第三の新人」といわれた作家の1人です。晩年、家族の日々の暮らしを描いた一連の小説で話題になりましたが、決して旬とは言えないこの作家の作品をハードカバーで出すところに夏葉社の自信と見識が伺えます。
夕べの雲 (講談社文芸文庫)
この文庫版の「夕べの雲」を発売当時に買い、いったい何度読み返したことだろう。
読み返しながら自分はこの本のどこに惹かれるのだろうと考えていて、たぶんこうなんじゃないかとわかったことがある。
旅をしているときに見る景色は、普段の生活の中で見るそれとは違う。
初めて見る景色だったり珍しい眺めだったりということもあるが、見る心のどこかにもう二度と見られないかもしれないという構えがある。
自然とその時時をいとおしむ気持ちが生まれる。
この本の主人公大浦は、旅をするように日常を生きている。
今見ているこの光景はもう二度とないという思いがどの行間にもあるような気がする。
木々や自然や、家族のそれぞれを見る大浦の目にはくもりがない。
われわれはついつまらないことにとらわれて大切なものを見失いがちだが、いつもこんなふうでありたいと思う。
なにを願い、どう行動するにしろ、基本のこころはこうでありたい。
こんなことを「夕べの雲」は教えてくれた。
庄野潤三氏は今年9月に亡くなられた。このすばらしい作品をわたしたちに残されたこと、心から感謝します。
読み返しながら自分はこの本のどこに惹かれるのだろうと考えていて、たぶんこうなんじゃないかとわかったことがある。
旅をしているときに見る景色は、普段の生活の中で見るそれとは違う。
初めて見る景色だったり珍しい眺めだったりということもあるが、見る心のどこかにもう二度と見られないかもしれないという構えがある。
自然とその時時をいとおしむ気持ちが生まれる。
この本の主人公大浦は、旅をするように日常を生きている。
今見ているこの光景はもう二度とないという思いがどの行間にもあるような気がする。
木々や自然や、家族のそれぞれを見る大浦の目にはくもりがない。
われわれはついつまらないことにとらわれて大切なものを見失いがちだが、いつもこんなふうでありたいと思う。
なにを願い、どう行動するにしろ、基本のこころはこうでありたい。
こんなことを「夕べの雲」は教えてくれた。
庄野潤三氏は今年9月に亡くなられた。このすばらしい作品をわたしたちに残されたこと、心から感謝します。