晩年は、ゲームドラクエマニアとしても知られ、バラエティ番組でも歯に着せぬ発言が受けて、再ブレイクと評された淡路惠子…。ご子息が母親である淡路さん亡き後、見つかった原稿に描かれた自伝的エッセイが本著である。とは言っても「語りおろし」の形式をとっており、それは前作「凛としてひとり」と共通しているので、読みやすい。
前作「凛としてひとり」よりも、語られている内容は濃いが、恨みつらみの感情的なものではなく、著者の人柄をあらわしたさっぱりとしているトーンに好感を持った。
三船敏郎氏とは、16歳のSKDの研究生の時、嫌々出演が決ってしまった黒澤明監督の「野良
犬」で出逢い、可愛がってもらったそうで、16歳の頃の記憶が三船敏郎を知らない人でも魅力的な大人物にうつるであろう。また文豪、谷崎潤一郎が若き日の淡路惠子のファンで、交流を深めていく様子の鮮やかなエピソードの数々。
皮肉にも淡路惠子は1番最初の夫との間の子供は成人したが、2番目の夫であった萬屋錦之助との間の子供を2人も失うという悲劇に見舞われた。プロダクションの倒産、多額の借金、萬屋錦之助は難病となり、淡路惠子の献身的な支えで全快した後の、夫の浮気が発覚、離婚、残った借金の返済、愛息達の死…。
とにかく一言では語りつくす事ができない、一難去ってまた一難の連続の人生、特に萬屋錦之助と再婚してからは大変な苦労をしたけれど、以前「はなまるマーケット」に出演した時も「とにかくその日を一生懸命に生きるしかなかった」と相談メールに回答していたが、まさに淡路惠子だからこそ生きる言葉だと思った。
暴露めいたいやらしい内容の本ではなく、読後感も良いものとなっている。
「凛としてひとり」では語られなかった有名人たちとの交流も書かれているが、冗漫な文章ではなく、エピソードとし紹介されていて興味深いものもあった。
淡路惠子は、自分の死んだ後、葬式で自分がどういう人物だったか誰かが語ってくれるだろうが、自分の人生は自分が1番良く知っているので、その事を知ってほしくての出版だったという。
将来の夢では「声優」や「ナレーション」をしてみたいと記されてあった。演出助手は80年生きてきた経験がものをいうのではないか?というものであり、まだまだ多方面に活躍してほしかった女優さんだ。来世は、
イタリアの田舎に住む子だくさんの女性になりたいとも、この憧れは「凛としてひとり」にも記されていたものだ。
病床で残したという萬屋錦之助のメモはせつないものがあった。何だかんだいっても男は弱く、女はたくましいと改めて本著を読んでそう思った。