Sybil Exposed: The Extraordinary Story Behind the Famous Multiple Personality Case
多重人格はミステリーやホラーでいまや定番の設定だが、その発端となったのは失われた私 (ハヤカワ文庫 NF (35))だ。この本では、「シビル」なる女性が幼児期の虐待などで一ダースもの人格に分かれていたとされ、それが統合される過程が描かれる。これがベストセラーになり、アメリカでは何万人もの自称多重人格症やそのセラピストが無数に登場した。
が、本書はその実際の臨床資料(患者の死によって公開さえた)をもとに、実際には何が起きたかをまとめる。そして、「シビル」の物語が、かまってほしくて話をねつ造する患者と、功を焦って患者に催眠術や幻覚剤まで使って人格をねつ造させる精神医と、それを描くことでジャーナリストとして大成したい作家という女性三人がグルになったねつ造なのだということを明らかにする。
本書の描く三人の末路は実に悲しい。「シビル」が一大社会現象になってから、患者と医師は自分の虚構の露見をおそれてほとんど共依存的な共同生活に入り、ジャーナリストはその後もスキャンダラスなスクープを目指すがすべて失敗し、失意のうちに死亡した様子を描く。そして作者はこの一件が、女性の社会進出が始まりつつもまだ不安定だった時期に女性たちが感じていた不安と焦りの反映と見る。彼女たちもある種分裂した生き様を強いられており、それは社会全体の不安定さにもつながっていた。「シビル」はそれ故に、著者たち自身にとっても切実であり、そして社会にも受け容れられたのだ、と。だからこの三人を描く著者の筆致は、厳しいと同時にもの悲しく優しい。が、それが生み出した数々の家庭破壊などの被害にについても、著者は淡々と指摘する。多重人格を本気で信じている人、うさんくさく思っている人すべていおすすめ。
が、本書はその実際の臨床資料(患者の死によって公開さえた)をもとに、実際には何が起きたかをまとめる。そして、「シビル」の物語が、かまってほしくて話をねつ造する患者と、功を焦って患者に催眠術や幻覚剤まで使って人格をねつ造させる精神医と、それを描くことでジャーナリストとして大成したい作家という女性三人がグルになったねつ造なのだということを明らかにする。
本書の描く三人の末路は実に悲しい。「シビル」が一大社会現象になってから、患者と医師は自分の虚構の露見をおそれてほとんど共依存的な共同生活に入り、ジャーナリストはその後もスキャンダラスなスクープを目指すがすべて失敗し、失意のうちに死亡した様子を描く。そして作者はこの一件が、女性の社会進出が始まりつつもまだ不安定だった時期に女性たちが感じていた不安と焦りの反映と見る。彼女たちもある種分裂した生き様を強いられており、それは社会全体の不安定さにもつながっていた。「シビル」はそれ故に、著者たち自身にとっても切実であり、そして社会にも受け容れられたのだ、と。だからこの三人を描く著者の筆致は、厳しいと同時にもの悲しく優しい。が、それが生み出した数々の家庭破壊などの被害にについても、著者は淡々と指摘する。多重人格を本気で信じている人、うさんくさく思っている人すべていおすすめ。
著作権フリーBGM 中北利男ベストアルバム 夢の軌跡
写真のスライドショーのBGMとして使用させていただきました。ピアノの心地よいメロディーで、良い雰囲気です。
とても心安らぐ音楽だと思います。著作権フリーということで、素敵な音楽を使用することができ、大変ありがたかったです。
また何かの制作のときには利用したいです。
とても心安らぐ音楽だと思います。著作権フリーということで、素敵な音楽を使用することができ、大変ありがたかったです。
また何かの制作のときには利用したいです。
境界を生きる 性と生のはざまで
新聞で記事を何回か読んだことがあって、興味をもちました。興味といってはなんですが、今まで人の性は男か女かしかないことに疑問をもたなかたことが、恥ずかしいです。看護師という職業柄、「ひと」というとらえ方が少し視野が広がった気がします。
変えてゆく勇気―「性同一性障害」の私から (岩波新書)
本書の題名はたぶん神学者ラインホルト・ニーバーのつぎの祈りの言葉をヒントにしてつけられたものと思う。「神よ、変えられるものを変えてゆく勇気と、変えられないものは受け入れる謙虚さと、それらを見分ける知恵を私に与えたまえ」
上川あやさんを最初に見かけたのは、ちょうど今から10年前の2003年1月、新宿で開かれたとあるシンポジウムの会場においてだった。
性同一性障害の人への医学的ケアにはガイドラインができて、埼玉医科大学を中心とする医学者グループが、ホルモン療法や性別適合手術を公認された医療として実施するようになったにもかかわらず、法律のほうがそれに追いついていなくて、身体的性別移行を果たした人でも法的には性別変更ができないという矛盾が生じ、それをなんとかしてくださいという運動が起こってきたころだった。その日のシンポジウムで壇上に上がったパネリストの一人が上川あやさんだった。
「へえ、世の中にはこういう人もいるんだなあ」と思うと同時に、「時代が変わったから、肉体と精神の性別が不適合に生まれてしまったこの種の人も、堂々とこのように主張できるようになったんだなあ」と、感無量だった。私自身も、男性の身体で生まれたことに違和感を抱きながらも、50歳過ぎまでの人生を生まれた身体の性別で過ごしてきてしまった以上、今さら「変わる」こともできないということに、ちょうど気がついたころだったからだ。
その翌月、上川あやさんの世田谷区議選への立候補表明があった。私も、自分にできるだけの協力はしようと思い、街頭演説の場に駆けつけて、一緒にビラを配ったり、お手伝いをさせていただいた。この本の中に出てくる、上川候補が「家へ帰って飯の支度をしろ!」という罵声を中年男からかけられた現場(小田急線梅ヶ丘駅前)にも、私自身立ち会ったので、リアルタイムで体験した「歴史」として、私はあの罵声を知っている。
当選確実の第一報も、選挙事務所で聞いた。
その後、靖国問題や死刑存廃問題のほうに自分の軸足を移した私は、多忙になったせいもあって、第二回以降の上川さんの選挙運動には協力できなかったが、あの初当選のときの選挙への協力は一生忘れがたい思い出だ。そして私自身、肉体の性別移行こそしていないものの、ネット上ではバーチャル女性として発言するようになったし、パンツルックの婦人服を着こなして暮らす生活はそれなりに板についたものになった。上川さんが「変えてゆく勇気」をもって歩んだ足跡がなかったら、今の自分はなかっただろう。
上川あやさんを最初に見かけたのは、ちょうど今から10年前の2003年1月、新宿で開かれたとあるシンポジウムの会場においてだった。
性同一性障害の人への医学的ケアにはガイドラインができて、埼玉医科大学を中心とする医学者グループが、ホルモン療法や性別適合手術を公認された医療として実施するようになったにもかかわらず、法律のほうがそれに追いついていなくて、身体的性別移行を果たした人でも法的には性別変更ができないという矛盾が生じ、それをなんとかしてくださいという運動が起こってきたころだった。その日のシンポジウムで壇上に上がったパネリストの一人が上川あやさんだった。
「へえ、世の中にはこういう人もいるんだなあ」と思うと同時に、「時代が変わったから、肉体と精神の性別が不適合に生まれてしまったこの種の人も、堂々とこのように主張できるようになったんだなあ」と、感無量だった。私自身も、男性の身体で生まれたことに違和感を抱きながらも、50歳過ぎまでの人生を生まれた身体の性別で過ごしてきてしまった以上、今さら「変わる」こともできないということに、ちょうど気がついたころだったからだ。
その翌月、上川あやさんの世田谷区議選への立候補表明があった。私も、自分にできるだけの協力はしようと思い、街頭演説の場に駆けつけて、一緒にビラを配ったり、お手伝いをさせていただいた。この本の中に出てくる、上川候補が「家へ帰って飯の支度をしろ!」という罵声を中年男からかけられた現場(小田急線梅ヶ丘駅前)にも、私自身立ち会ったので、リアルタイムで体験した「歴史」として、私はあの罵声を知っている。
当選確実の第一報も、選挙事務所で聞いた。
その後、靖国問題や死刑存廃問題のほうに自分の軸足を移した私は、多忙になったせいもあって、第二回以降の上川さんの選挙運動には協力できなかったが、あの初当選のときの選挙への協力は一生忘れがたい思い出だ。そして私自身、肉体の性別移行こそしていないものの、ネット上ではバーチャル女性として発言するようになったし、パンツルックの婦人服を着こなして暮らす生活はそれなりに板についたものになった。上川さんが「変えてゆく勇気」をもって歩んだ足跡がなかったら、今の自分はなかっただろう。