街の恋 ~フェデリコ・フェリーニ×ミケランジェロ・アントニオーニ~ [Blu-ray]
フェリーニが一挿話『結婚相談所』を手掛け、全挿話の音楽をマリオ・ナシンベーネで統一したため、『白い酋長』から『オーケストラ・リハーサル』までのフェリーニ作品で唯一ニーノ・ロータが音楽を担当しなかったことでも稀有の作品となりました。
日本では劇場未公開で1990年代に深夜TV放送されたことがあり、ビデオ録画して観ました。この時はアンテナの調子がよろしくなく画像にムラが出て、画質的には満足できませんでした。その後廉価版ビデオが発売されたことがありましたが手を出すことなく、すぐにDVD時代に入って廃盤になってしまい、その後ずっと観られない状態が続いてました。監督がフェリーニの他、ミケランジェロ・アントニオーニも参加してましたがそれ以外はカルロ・リッツアーニ、ディーノ・リージ、アルベルト・ラトゥアーダなど中堅が多く、内容もそれぞれの挿話が実際の恋愛にまつわる事件・人物の再現、ダンス場や通行人を撮っているといったネオリアリズムを基調とした映画(フェリーニ編だけは撮影中実話とだましていたが実は全くの創作)でフェリーニとラトゥアーダ編以外は素人俳優のため地味な印象を与えています。そのため企画としては意義のある試みなのに目立たないため、DVD化が難しいのかなと思っていたら、blu-ray化され久々に拝見することができました。やはり、フェリーニのファンとしては貴重な一遍ですね。
画質はHDマスターとのことでかなりきれいです。音質は昔のモノラルなのでやや音割れがありますがモノラルとしては上質の方です。
日本では劇場未公開で1990年代に深夜TV放送されたことがあり、ビデオ録画して観ました。この時はアンテナの調子がよろしくなく画像にムラが出て、画質的には満足できませんでした。その後廉価版ビデオが発売されたことがありましたが手を出すことなく、すぐにDVD時代に入って廃盤になってしまい、その後ずっと観られない状態が続いてました。監督がフェリーニの他、ミケランジェロ・アントニオーニも参加してましたがそれ以外はカルロ・リッツアーニ、ディーノ・リージ、アルベルト・ラトゥアーダなど中堅が多く、内容もそれぞれの挿話が実際の恋愛にまつわる事件・人物の再現、ダンス場や通行人を撮っているといったネオリアリズムを基調とした映画(フェリーニ編だけは撮影中実話とだましていたが実は全くの創作)でフェリーニとラトゥアーダ編以外は素人俳優のため地味な印象を与えています。そのため企画としては意義のある試みなのに目立たないため、DVD化が難しいのかなと思っていたら、blu-ray化され久々に拝見することができました。やはり、フェリーニのファンとしては貴重な一遍ですね。
画質はHDマスターとのことでかなりきれいです。音質は昔のモノラルなのでやや音割れがありますがモノラルとしては上質の方です。
サテリコン [DVD]
宗教の登場によって倫理観が確立するより以前の古代ローマ社会。
行動規範の洗練が成されていない原初の混沌。
文化的とされる生活を日々、当たり前に消化する僕らからすると
不自然性に見えるはずのカオスがかえって自然かとも思えてきてしまい
常識・非常識のものさしなど、つくづく文化により常日頃
形成、変質し続けてゆくものなのだなあと再認識させられます。
「個として」では無く「マスとして」の生物・人間も
歴史とともに進化(複雑化)している。
何にせよ、そうした異質なものを、ここまで圧倒的な緻密さで
壮麗に描いてみせたそのモチベーションを、まず賛美したい。
行動規範の洗練が成されていない原初の混沌。
文化的とされる生活を日々、当たり前に消化する僕らからすると
不自然性に見えるはずのカオスがかえって自然かとも思えてきてしまい
常識・非常識のものさしなど、つくづく文化により常日頃
形成、変質し続けてゆくものなのだなあと再認識させられます。
「個として」では無く「マスとして」の生物・人間も
歴史とともに進化(複雑化)している。
何にせよ、そうした異質なものを、ここまで圧倒的な緻密さで
壮麗に描いてみせたそのモチベーションを、まず賛美したい。
愛欲のローマ史 変貌する社会の底流 (講談社学術文庫)
扇情的なタイトルが付けられてはいるが、本書は愛と性を基本に(元の講談社現代新書のタイトルは『ローマ人の愛と性』)、ローマ人の家族観や男女関係観、自己規律に関する倫理観や内省能力について、資料の足りないところは若干のイマジネーションで補って再構築しようと試みた、割と真面目なお堅い本。分量がそれ程無い割に扱っているテーマが広いので、全体的にやや薄味で考証が少ない感じを受ける。例えば著者の創作したテキストによって典型的なローマ人の内面を描き出そうと云う試みなどは、凡そ学術書ではお目に掛かることの無い冒険であるし、第3部の「ホラティウスの冷笑→マルティアリスの嘲笑→ユウェナリスの義憤」と云う流れのテキスト解釈は、好意的に見れば解り易いが、教条的な単純化を行っているのではとの疑念も拭えない。「淫行」や「同性愛」、「愛欲」や「悪徳」なんて微妙な用語を割と無神経に使っているところなんかも気になる。社会史としては些か雑駁な印象を否めないのだが、逆に言えば本書の良いところはそうした大味なスケール観の大きさ。余り堅苦しく構えずに、ローマ人の心性の大体のイメージをみたい読者にとっては楽しく読める内容だろう。少なくとも、フーコーの大著に取り組む時よりはずっと気楽に読むことが出来る。但し読後感もそれ相応、と云った感じだろうか。
尚、本書は著者自薦の「最高傑作」だそうである。
尚、本書は著者自薦の「最高傑作」だそうである。
サテリコン [DVD]
絵巻物の面白さは当世風の戯画をもって極まる。滑稽あるいは諧謔とかそんなところだろう。この軽みが持ち味なのである。さしずめ幕間の寸劇とでもいったところか。しかしコメディア・デラルテのようにはいかない。何となれば素材が古すぎるからだろう。かくして群像劇とも群集劇ともつかない、ごった煮的フィルムとなった。あとはもう好みの問題でしかない。古典の形象化を奇妙奇天烈なる意匠でおこなうのは当時の流行ではあった。ただ、それも笑い者になるか否かは紙一重だ。かつてキートンは大真面目な顔で爆笑を誘った。マルクス兄弟は絶妙なやりとりで笑いを決めた。フェリーニの好みは田舎芝居っぽい演出だ。ペラペラの大道具を組み立てて真面目に遊んでしまう。だからどことなく居心地の悪さを感じてしまうのかもしれない。要は毒気が不足しているのだ。良くも悪しくも以来パターン化されてしまった演出。哀しいかなこれは笑いが強ばっている。