神様、仏様、稲尾様―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
日経の最終面に連載される「私の履歴書」、興味がある方の執筆でもつい忙しくて読み逃がしてしまう。稲尾さんの回も読んだり読まなかったりだったので単行本になっているのを知り素直に嬉しい。
わたしは稲尾さんの現役時代を知りませんが、稲尾さんの記録からその「クレージー」ぶりはわかるような気がする。
シーズン42勝、404イニング(!)登板、78試合登板。今年、阪神JFKの一角、藤川投手が登板試合数は記録を更新しましたが、先発中心だった稲尾氏のそれとは意味が違う。イニング数・勝利数とも正真正銘不滅の記録でしょう。
現代のスポーツ医学の常識を超える酷使を「バカになれた時代は幸せだった」とサラリと振り返る余裕。10勝を20年連続続けても神様・仏様にはなれなかった。
上下に振幅がある稲尾さんの野球人生、その筆致からは些かも後悔の念は伝わってこない。読んでいる方も痛々しくなるような獅子奮迅ぶりですが「完全燃焼」とはこういうことを言うのだ、の圧巻の豪快ぶり。ページ毎に伝わる稲尾さんの人柄、彼が指導者としても慕われたことがよくわかります。
プロ野球が興行である以上、大衆はスターに非日常を期待するもの。真に金を払って見る価値があるプレーをした稲尾さん。現役時代を知らぬ自分もページをくるのがもどかしいほどに楽しく読めました。絶対のおすすめ。
わたしは稲尾さんの現役時代を知りませんが、稲尾さんの記録からその「クレージー」ぶりはわかるような気がする。
シーズン42勝、404イニング(!)登板、78試合登板。今年、阪神JFKの一角、藤川投手が登板試合数は記録を更新しましたが、先発中心だった稲尾氏のそれとは意味が違う。イニング数・勝利数とも正真正銘不滅の記録でしょう。
現代のスポーツ医学の常識を超える酷使を「バカになれた時代は幸せだった」とサラリと振り返る余裕。10勝を20年連続続けても神様・仏様にはなれなかった。
上下に振幅がある稲尾さんの野球人生、その筆致からは些かも後悔の念は伝わってこない。読んでいる方も痛々しくなるような獅子奮迅ぶりですが「完全燃焼」とはこういうことを言うのだ、の圧巻の豪快ぶり。ページ毎に伝わる稲尾さんの人柄、彼が指導者としても慕われたことがよくわかります。
プロ野球が興行である以上、大衆はスターに非日常を期待するもの。真に金を払って見る価値があるプレーをした稲尾さん。現役時代を知らぬ自分もページをくるのがもどかしいほどに楽しく読めました。絶対のおすすめ。
神様、仏様、稲尾様―私の履歴書
私は、この本の中にこそ、今、とかく、論議を呼び起こしているプロスポーツというものの本質があるように思う。
日本人は、とかく、プロスポーツというものに、「興業」と「競技」の整合性を持たせることが苦手のようだが、プロは自分を見に来てくれるお客さんがいる以上は、まず、試合に出なければならないものだということである。
球場に、長島を見に行って、「長島は今日は欠場・・・。」と言われたら、それはやっぱり、「話が違う!」とまでは思わないにしても、「何だ、つまんねえ・・・」とはなるわけで、著者曰く、「だからこそ、王も長島も、オープン戦から打席に立ち続けた」と・・・。
また、「太平洋クラブ・ライオンズ監督時代、球団は本物のライオンを球場に連れてきて、ファンの歓心を買おうとした。」ことがあったそうだが、著者は、この点も、「日本のファンサービスはとかくこうした筋違いの方向に走りやすい。」と喝破しておられる。
まさに、観客は、ライオンが見たいのなら、球場へ行かずに直接、動物園に行く。
アイドルや曲芸師が見たいのなら、最初から、試合場や競技場ではなく、コンサートや演芸場に足を運ぶ。
観客は何を求めて、足を運んでいるか・・・である。
自らの技術を見せて、観衆から報酬を得るのがプロスポーツだとしたら、プロは、観衆をその本業で楽しませ、感動させなければならないのである。
また、来よう!と思わせなければならないのである。
遠くに球を投げるとか、速く走られるなどというのは、実際に人々の市民生活に無くてはならないものではないということを、選手は今一度、認識すべきであろう。
日本人は、とかく、プロスポーツというものに、「興業」と「競技」の整合性を持たせることが苦手のようだが、プロは自分を見に来てくれるお客さんがいる以上は、まず、試合に出なければならないものだということである。
球場に、長島を見に行って、「長島は今日は欠場・・・。」と言われたら、それはやっぱり、「話が違う!」とまでは思わないにしても、「何だ、つまんねえ・・・」とはなるわけで、著者曰く、「だからこそ、王も長島も、オープン戦から打席に立ち続けた」と・・・。
また、「太平洋クラブ・ライオンズ監督時代、球団は本物のライオンを球場に連れてきて、ファンの歓心を買おうとした。」ことがあったそうだが、著者は、この点も、「日本のファンサービスはとかくこうした筋違いの方向に走りやすい。」と喝破しておられる。
まさに、観客は、ライオンが見たいのなら、球場へ行かずに直接、動物園に行く。
アイドルや曲芸師が見たいのなら、最初から、試合場や競技場ではなく、コンサートや演芸場に足を運ぶ。
観客は何を求めて、足を運んでいるか・・・である。
自らの技術を見せて、観衆から報酬を得るのがプロスポーツだとしたら、プロは、観衆をその本業で楽しませ、感動させなければならないのである。
また、来よう!と思わせなければならないのである。
遠くに球を投げるとか、速く走られるなどというのは、実際に人々の市民生活に無くてはならないものではないということを、選手は今一度、認識すべきであろう。
鉄腕伝説 稲尾和久―西鉄ライオンズと昭和
僕の中学時代は、野球一色だった。部活は野球部で、帰宅してからは毎日ラジオで野球の実況を聞いていた。当時の西鉄は弱く、やがて太平洋クラブ・ライオンズからクラウンライター・ライオンズと名前が変わったが、一向に強くなる気配はなかった。
でもその西鉄にも、黄金時代があった。その立役者が、豊田や中西、そして稲尾などの野武士軍団。
西鉄が奇跡の逆転優勝で日本シリーズを制したのは、昭和33年。僕が、一歳の時だった。その強さを信じて、毎日近くの平和台に通っていたのは小学校の頃だった。伝説となった西鉄の黄金時代の物語が、この本には詳細に記されている。
稲尾和久の英雄譚を振り返るもよし、当時の西鉄の記録を確認する資料としても最適です。英雄を待望して、英雄たちが活躍した時代を振り返ることができます。
でもその西鉄にも、黄金時代があった。その立役者が、豊田や中西、そして稲尾などの野武士軍団。
西鉄が奇跡の逆転優勝で日本シリーズを制したのは、昭和33年。僕が、一歳の時だった。その強さを信じて、毎日近くの平和台に通っていたのは小学校の頃だった。伝説となった西鉄の黄金時代の物語が、この本には詳細に記されている。
稲尾和久の英雄譚を振り返るもよし、当時の西鉄の記録を確認する資料としても最適です。英雄を待望して、英雄たちが活躍した時代を振り返ることができます。