高円寺純情商店街 (新潮文庫)
平成元年に書かれた前衛詩人ねじめ正一の処女作。東京の商店街の日々が、瑞々しい少年の鋭敏なる感性によって、きらきらと描かれている。ねじめ少年の感性は、平面的で一見すると、おそらく凡庸でつまらない商店街を立体的で、より豊かなものへと構築し直す。それは、私のように東京の池袋そばの商店街で昭和40年代を過ごしたものにとってはとても懐かしい。私はこの著者のような瑞々しい感性を持っていなかったので、例えば化粧品屋のお姉さんはただの化粧の濃いおばさんにしか映らなかったのだが、この本を読むと、少年当時、見ていた凡庸かと思われた商店街の表風景の背景には、このような人生ドラマがあったのだな、と想像することができる。
私はアメリカに住んでいた時、アメリカのジャーナリストの取材を受け、「なぜ日本には商店街のような素晴らしい都市空間を形成できたのか」と聞かれたことがある。大変、意外な質問だったのだが、確かにアメリカの都市には、ニューヨーク、サンフランシスコを除けば、家から歩いていけるような商業集積はほとんどない。そういう点から商店街は日本の都市の素晴らしき資産の一つであると認識していたのだが、その商店街には文学的な価値もあることを本書は見事に表現した。素晴らしき商店街賛歌であり、東京賛歌である。
私はアメリカに住んでいた時、アメリカのジャーナリストの取材を受け、「なぜ日本には商店街のような素晴らしい都市空間を形成できたのか」と聞かれたことがある。大変、意外な質問だったのだが、確かにアメリカの都市には、ニューヨーク、サンフランシスコを除けば、家から歩いていけるような商業集積はほとんどない。そういう点から商店街は日本の都市の素晴らしき資産の一つであると認識していたのだが、その商店街には文学的な価値もあることを本書は見事に表現した。素晴らしき商店街賛歌であり、東京賛歌である。