知ラナイナイ空
いさ子さん、おひさしぶりのメジャー(?)なお仕事で喜ばしい限りです。
先日のライブでも、例の団扇をあおぎながら、歌って下さいましたが、
OPテーマは、青い日々が懐かしいオトナには、ちょいと気恥ずかしいものの、かわいい歌です。
また、EDテーマは、さねよしさんらしさがそこいらに満ち溢れた、心温まる素敵な歌です。
アニメをご覧になる方かそうでないかにかかわらず、たくさんの方に聴いて頂きたいものです。
先日のライブでも、例の団扇をあおぎながら、歌って下さいましたが、
OPテーマは、青い日々が懐かしいオトナには、ちょいと気恥ずかしいものの、かわいい歌です。
また、EDテーマは、さねよしさんらしさがそこいらに満ち溢れた、心温まる素敵な歌です。
アニメをご覧になる方かそうでないかにかかわらず、たくさんの方に聴いて頂きたいものです。
さよなら、ぺとぺとさん (ファミ通文庫)
「ほんわかほのぼの、時折しんみり。でも萌え多し」という感じ?
ほのぼの度がパワーアップして、微笑ましいというか何というかかなりいい雰囲気に。
一巻に比べて、登場人物の紹介をしなくてすむ分、文章に余裕が出来たので、
会話と地の文のバランスが良くなって、文章に深みが増した感じがします。
物語は、ほんわかほのぼの心地よくて、このままずーっと浸りたいなぁと思わせてくれます。
盛り上げは、一巻には及ばないものの良かったです。みんな、幸せになって欲しいなぁと。
そして最後のぺと子の手紙を読んで、優しい気分になりました。
ぺと子風に言うと、「心があったかなる、そんなお話やでー」てな感じ。
でもって。
表紙は大人しめで買いやすくなったなぁと思ったら、口絵と挿絵が恥ずかしすぎです。。。
あと妹天国、略して「いもてん」のくだりを読んだ時は、目眩がしました。。。
ほのぼの度がパワーアップして、微笑ましいというか何というかかなりいい雰囲気に。
一巻に比べて、登場人物の紹介をしなくてすむ分、文章に余裕が出来たので、
会話と地の文のバランスが良くなって、文章に深みが増した感じがします。
物語は、ほんわかほのぼの心地よくて、このままずーっと浸りたいなぁと思わせてくれます。
盛り上げは、一巻には及ばないものの良かったです。みんな、幸せになって欲しいなぁと。
そして最後のぺと子の手紙を読んで、優しい気分になりました。
ぺと子風に言うと、「心があったかなる、そんなお話やでー」てな感じ。
でもって。
表紙は大人しめで買いやすくなったなぁと思ったら、口絵と挿絵が恥ずかしすぎです。。。
あと妹天国、略して「いもてん」のくだりを読んだ時は、目眩がしました。。。
ぺとぺとさん 第1巻 [DVD]
さねよしいさ子つながり(主題歌&副主題歌をうたっている)ということで、興味本位で購入してみました(笑)
しかし予想外に良い作品でした。これはお勧めできます。
テイスト的には、かの「あずまんが大王」を連想させるような要素があれこれ含まれてまして、
おそらくこれは意識しているんだろうと思います。
しかし作品世界のベクトルが違うので、そんなに気になりません。
いかにも萌え〜っとした世界を描くようでいて、
それとなく「差別」という普遍的な難問題を底辺へ滲ませているあたりが、なんともディープであり、また現代的であります。
いやむしろ、これらの間のギャップが『ぺとぺとさん』の大きな魅力になっているのかもしれません。
思えば水木しげるの鬼太郎もそうでしたが、妖怪とは、実のところ人間社会のアウトサイダーの象徴なのですよね。
いつ消えるか分からない、はかない存在として描かれる「ぺと子」の弱さと強さに、
共感できる人は多いと思います。しかもきゃわいいですし(笑)
しかし予想外に良い作品でした。これはお勧めできます。
テイスト的には、かの「あずまんが大王」を連想させるような要素があれこれ含まれてまして、
おそらくこれは意識しているんだろうと思います。
しかし作品世界のベクトルが違うので、そんなに気になりません。
いかにも萌え〜っとした世界を描くようでいて、
それとなく「差別」という普遍的な難問題を底辺へ滲ませているあたりが、なんともディープであり、また現代的であります。
いやむしろ、これらの間のギャップが『ぺとぺとさん』の大きな魅力になっているのかもしれません。
思えば水木しげるの鬼太郎もそうでしたが、妖怪とは、実のところ人間社会のアウトサイダーの象徴なのですよね。
いつ消えるか分からない、はかない存在として描かれる「ぺと子」の弱さと強さに、
共感できる人は多いと思います。しかもきゃわいいですし(笑)
ぺとぺとさん (ファミ通文庫)
最初に読んだのはもう数年前だが、正直最初の半分は戸惑った。本(小説)としての文法が読めなかったからである。
その後、筆者はおそらく、「絵本」をやりたかったんじゃないのかなぁ、と漠然と読み取ってからはすんなりと読めるようになった。なんのことはない、「ライノベ」とか「小説」という枠に読み手自身の私が捕らわれすぎていたのである。本を本として、お話をお話として、まじめに向かい合っていなかった。それだけの話であった。
というわけで、多くの人がとまどいを持って読んだと思うこの本は、かなりの確率で、実験小説である。より正確には実験本である。大人が大人の目線で読むから大変なのであって、おそらく小学生中学生が、こざかしい思い入れを持たずに読めば、すんなり読める本。
実際、この「お話」の中には絶対記述が欲しいと思えるところに、文章的な説明がない。逆にいらないと思えるところに、「わずかな」記述をおく。読み手に想像して欲しいところに敢えて説明を施さないのは、この本が、読者をイラストレータとした絵本だからではないか。そこにYUGの挿絵が補強として機能する。
そして、絵本と語りとしての文法を持ったがゆえに、その描写は恐ろしく日常である。イベントごとをイベントとして日常から乖離させない。くぐるの喧嘩のシーンでさえも、日常に組み込まれる。それが総体として、この物語の語りを生み出しているのだ。
その後、筆者はおそらく、「絵本」をやりたかったんじゃないのかなぁ、と漠然と読み取ってからはすんなりと読めるようになった。なんのことはない、「ライノベ」とか「小説」という枠に読み手自身の私が捕らわれすぎていたのである。本を本として、お話をお話として、まじめに向かい合っていなかった。それだけの話であった。
というわけで、多くの人がとまどいを持って読んだと思うこの本は、かなりの確率で、実験小説である。より正確には実験本である。大人が大人の目線で読むから大変なのであって、おそらく小学生中学生が、こざかしい思い入れを持たずに読めば、すんなり読める本。
実際、この「お話」の中には絶対記述が欲しいと思えるところに、文章的な説明がない。逆にいらないと思えるところに、「わずかな」記述をおく。読み手に想像して欲しいところに敢えて説明を施さないのは、この本が、読者をイラストレータとした絵本だからではないか。そこにYUGの挿絵が補強として機能する。
そして、絵本と語りとしての文法を持ったがゆえに、その描写は恐ろしく日常である。イベントごとをイベントとして日常から乖離させない。くぐるの喧嘩のシーンでさえも、日常に組み込まれる。それが総体として、この物語の語りを生み出しているのだ。