大地のうた [DVD]
インドの巨匠であるサタジット・レイ監督の3部作の第1話である。
アメリカ映画にみられるような(今昔を問わないが、特に近年のものほどそうだ)、おちゃらけを混ぜ、派手に演出した言動を繰り返す世界でないどころか、その対極にあるのが、アジア大陸の社会と言えるのではないだろうか。
「甲斐性のなさ?!」で財産を失い、それでも勉強して得た何とやらで糊口をしのぐ父親の下で、何とか生き延びていく母親と、その娘(姉)、それにどういう事情かは分からないが、居候されている年老いた伯母。
そしてそこに、少年は生まれてきた。
父親は、僧侶の仕事とやらであちこちに出かけていくものの、そうそうまとまった仕事があるわけでもない。財産はとっくに人手に渡り、失っている。
必然的に、家族の生活は苦しい。娘は、人のものを盗むようなことさえして、そして周囲からも疎まれる原因となっている。
そんな中で、少年は育っていくのだが・・・・・
伯母は年老いて、やがて死んでいく。
それどころか、姉さえも、病気にかかり、若くして死んでしまう。
少年は死んだ姉とともに、少し離れた先の汽車を見に行ったことがある。
それは、この3部作の行く先を暗示している伏線のようなものである。
鉄道というものは、どういうわけか、他の交通機関以上に、人を他の場所へといざなう要素を持っているようだ。えも言われぬ安心感とともに。
結局、娘は死んでしまった。
父親は、その娘のために買ってきたサリーを着せることもかなわなかった。
「ここにいれば、いろいろアドバイスもできるんだが…」
などという親族が止めるのを振り切って、父親は家族を引き連れ、呪われた故郷を叩き捨てるかのように、新たな街へと旅立っていく。
その後空き家となった彼らの家には、どこからともなく、蛇が入り込んでいく。
「東へと向かう列車」に乗って都会へ出ていく青年に向かって、「都会の絵の具に染まらないで帰ってきて」とかなんとか・・・・・そんな歌をあるアイドル歌手が歌ってましたっけ。
だけどね、そんな郷愁論に耳など傾けていては、人は生きていけない。
それは、時代と国とを問わないことなのではないか(この映画もそうなら、あの歌もそうで、どちらも、「列車」がキーワードだ)。
アメリカ映画にみられるような(今昔を問わないが、特に近年のものほどそうだ)、おちゃらけを混ぜ、派手に演出した言動を繰り返す世界でないどころか、その対極にあるのが、アジア大陸の社会と言えるのではないだろうか。
「甲斐性のなさ?!」で財産を失い、それでも勉強して得た何とやらで糊口をしのぐ父親の下で、何とか生き延びていく母親と、その娘(姉)、それにどういう事情かは分からないが、居候されている年老いた伯母。
そしてそこに、少年は生まれてきた。
父親は、僧侶の仕事とやらであちこちに出かけていくものの、そうそうまとまった仕事があるわけでもない。財産はとっくに人手に渡り、失っている。
必然的に、家族の生活は苦しい。娘は、人のものを盗むようなことさえして、そして周囲からも疎まれる原因となっている。
そんな中で、少年は育っていくのだが・・・・・
伯母は年老いて、やがて死んでいく。
それどころか、姉さえも、病気にかかり、若くして死んでしまう。
少年は死んだ姉とともに、少し離れた先の汽車を見に行ったことがある。
それは、この3部作の行く先を暗示している伏線のようなものである。
鉄道というものは、どういうわけか、他の交通機関以上に、人を他の場所へといざなう要素を持っているようだ。えも言われぬ安心感とともに。
結局、娘は死んでしまった。
父親は、その娘のために買ってきたサリーを着せることもかなわなかった。
「ここにいれば、いろいろアドバイスもできるんだが…」
などという親族が止めるのを振り切って、父親は家族を引き連れ、呪われた故郷を叩き捨てるかのように、新たな街へと旅立っていく。
その後空き家となった彼らの家には、どこからともなく、蛇が入り込んでいく。
「東へと向かう列車」に乗って都会へ出ていく青年に向かって、「都会の絵の具に染まらないで帰ってきて」とかなんとか・・・・・そんな歌をあるアイドル歌手が歌ってましたっけ。
だけどね、そんな郷愁論に耳など傾けていては、人は生きていけない。
それは、時代と国とを問わないことなのではないか(この映画もそうなら、あの歌もそうで、どちらも、「列車」がキーワードだ)。
大河のうた 《IVC BEST SELECTION》 [DVD]
インドの名匠サタジット・レイ監督のオプーApu三部作の二番目の作品。102分の白黒映画。完結しているので、前作を見なくても、この作品だけを見るのも良いができれば一作目の大地のうたをみてから鑑賞したい。また、前作を見た人には必見で、二つの作品を連続した一つの作品と見ても違和感はない。オプー三部作といわれるが、この作品の主役は母親役のコルナ・バナージで、前作同様、貧しい家庭に耐える母親を好演。父親も前作と同じカヌ・バナージ(三人のバナージ姓の俳優に血縁関係はなし)。オプーは、成長が描かれるので、前回(シュビル・バナージ)とは違う二人の俳優(ピナキ・セン・グプトとスマラン・ゴジャール)が演じているが、3人ともよく似ているので、本当に一人の人間の成長をみているかのような印象。テーマは母と息子の愛で、コルカタの学校で学ぶために母親の下を離れるかどうかで母子の葛藤があるが、これは貧富に関係なく現代にも共通するテーマ。二人とも理想の人物という描かれ方ではないが、それだけに等身大の美しく微妙な母子の愛情が描かれている。前作が美しい田園風景であったが、本作のみどころはガンジス河の川岸の階段(ガート)、田園の中を煙を吐いて走る汽車(前作の汽車のシーンを喚起させる)、夜の蛍などだが、絵画のような美しさであった前作の魅力には及ばない。ヴェネツィア国際映画祭で、続編として金獅子賞を受賞したのは本作のみ。映画史に残る三部作の一つとして満点以外にはつけられない作品。
大地のうた
西村 由紀江 さんをそれまで知らなかったんですがNHKを観て、聴いてるうちに探して見つけました。
聴いてると涙が出そうになります。私は自信を持ってお奨めできます。
出来れば番組と合わせて聴きたいですがそれは難しいですね。lw・`),,,
聴いてると涙が出そうになります。私は自信を持ってお奨めできます。
出来れば番組と合わせて聴きたいですがそれは難しいですね。lw・`),,,